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第45回詩人会議新人賞は田中茂二郎氏の「有馬敲論」

★秋村宏氏から賞状と記念品を授与される
田中茂二郎氏。


★受賞者全員で記念写真※携帯で撮ったので一部欠けた方がいらして失礼。

★土井大介氏が祝賀会の音頭をとって、乾杯後ゲストの
有馬敲氏が挨拶した。

★詩神に導かれて新たな出会いが
雨の土曜日、京都の詩人・有馬敲氏に誘われて詩誌「詩人会議」の総会と授賞式とその後の懇親会にも参加してきた。とても有意義な出会いであった。その報告をすこし。
有馬さんとは先年、オフノートが企画したゴールデン街劇場での関西フォークを回顧する催しで出会って以来懇意にして頂いている。昨秋は東京両国フォークロアセンターで、フォークシンガー岡大介らと全詩集刊行を記念して詩の朗読とフォークコンサートを企画できたし、こちらが京都に行けばご挨拶に伺い、彼が東京に来られるときはカバン持ちとして同行する間柄となった。今日もかねてよりそのお知らせがあり、昨秋以来お会いできるのを心待ちにしていたのだ。
有馬さんが今回来られたのは、詩誌「詩人会議」の新人賞、評論部門に田中茂二郎という人の『有馬敲論 ことばの穴を掘りつづける』が入選し書き手とも旧知の関係でもあられたのでその授賞式の出席が目的であった。
群れることを好まず詩壇とも距離を置く有馬さんであったが、「詩人会議」とは以前より特別会友として関係が深く、まして新人賞受賞作が彼のことを論じた評論だったこともあり、今回の参加となったようだ。
会場は日本青年館の一室で、自分は信濃町から歩いてその集いのあるフロアに向かった。ちょうど会員方々による総会の最中でもあり、運営に関して会議中で熱い討論がさかんに交わされていた。まさに“詩人会議”だなあと思った。
受付で有馬さんを呼び出してもらい一階の喫茶店に降りて近況報告など雑談を交わして再び会場に戻り自分もまた受付で名札をもらい懇親会にも参加することとなった。
有馬さんからさっそく出たばかりの今月号の「詩人会議」誌を頂き、田中氏が書かれた『有馬敲論』を総会の間に熟読した。決して長文ではないが、過不足なく実にこの詩人の足跡を丹念に調べ追いかけ仕事を掘り下げていることにまず感心した。有馬敲は高田渡のうた「値上げ」の詩人として世に知られてはいるものの、残念かつ不当なことに詩壇での扱いは決して高くはないのではと思っていた。彼に関して個々の評論は多くあるはずだが、知る限り今年傘寿を迎えるこの詩人の全仕事についてその全体像を描いた評伝、評論はなかったはずだ。それがようやく今回、田中茂二郎氏によって、有馬敲論が書かれ世に出たことをまず心から喜びたい。
この老詩人の仕事は非常に多岐にわたり、「値上げ」、つまり原題「変化」など初期のコミカルな世相風刺詩だけにとどまらず、オーラル派として詩朗読の活動、さらには海外の詩人との幅広い交友と遠征、近年の生活語詩運動と老いてなお抜群の行動力で多彩な活躍を続けている。その上に未踏社から出している叢書『有馬敲集』もついに第20巻を超えた。この叢書は彼の若き日の日記から発表された詩、評論、小説に至るまで全仕事を自身がまとめあげ再編して出しているもので詩文学史のみならず現代史の資料としてもとても面白く貴重なものである。今や有馬敲の活動は存在そのものが全体詩人であり、刺激的かつとても示唆に富んでいる。こんな八十歳は知る限りいない。
詩というものが言葉で人の心に風穴をあけるものだとしたら、今や彼の存在自体が詩になっている。会えばいつも良い衝撃を受ける。そんな素晴らしい方とお近づきになれたことを光栄に思うし、会うといつもその後は興奮し、拙いながらも詩や音楽が自分の中からも次々と湧き上がってくるのである。
今回、歴史ある第45回詩人会議新人賞の評論部門に入選された三重の田中茂二郎氏とも親しく言葉を交わす機会を持つことができた。彼も昔からのフォークソング好きで、なかでも高田渡ファンとのことで意気投合してあれこれ話も大いに弾んだ。また他にも作詞活動を続けているグループの方との出会いもあり、新たな世界がまたここから広がった日となった。秋村宏、土井大介氏ら名だたる詩人方々を知る機会ともなった。
授賞式が終わり宴はまだまだ続いていたが、中途で会場を抜け出し、小雨そぼふる外苑を有馬さんと足早に歩き信濃町に向かった。水道橋まで電車に乗って後楽園前、外堀通りに面したビジネスホテルに有馬さんを送り自分の役目は終わった。道中たくさんの貴重なお話は怠け者の若輩を十二分に叱咤激励してくれた。
大型連休に関西で受けた心の傷は、京都の老詩人と過ごす時間のうちにやんわりと癒された。もう過ぎたことはどうでもよい。自分にできる自分にしかできないことをしっかり寸暇を惜しんでやっていこうと誓った。
★新しくブログ開設いたしました。
もし拙ブログに読者という方々がいらっしゃるとしたら、突然の終了宣言、大変ご迷惑ご心配をおかけいたしました。お待たせしましたが、また新たに別なブログサービスのところで、タイトルを変えて新装開始となりました。その告知と連絡先をお知らせいたします。
が、大変僭越ですが、一つだけ書き手としてお断りしておくことがあります。どうかご理解の上、再開したブログへアクセスお願い致します。
ものを書かない人、ましてブログなどされていない方には理解できないことかと思いますが、世の中には常に何か書かないではいられない人、書くことでしか自らの存在意義を確認できない人がいます。それはある種の絵描きでも歌い手でも同じ事で、その行為を禁じられたら死んだほうがマシということになってしまいます。
私マスダにとっては、書くことは、三度の飯を喰うこと以上に日常的な行動であり、ある意味、書くことでしか、自らの脳内を整理することも感情をコントロールすることもできないような気がしています。書くからには一切制約なく、誰の気兼ねなく書きたいと願いますが、元より、言論の自由といっても全てのほうずに何を書いても許されるわけではないこともまた理解しています。しかし、書くからにはできるだけ自由に制約なく書きたいし書かねばならないと考えています。またそのことで問題が発生し責任が問われようと、事実であり、思想信条に基づいてのことであるならば、全責任を認めたうえで、誠心誠意きちんと対応していきます。。理不尽な抗議や事実と異なる意見等に対しては謝罪も撤回もしない覚悟でおります。しかと対応していきます。
また、他者について書く場合は、その方が公的活動をされている公人ならば、実名を上げて取上げることもあるし許されると考えますが、それ以外の私人の場合、一切氏名はイニシャルも含めて書くことはしないつもりです。また書いたことで、誰か一個人をイメージされるような場合も極力ないよう注意しますし、個人攻撃は絶対しません。もし誰かが自分のことを書かれたと抗議してきたとしても、そこに氏名もイニシャルもない限り、その抗議には基本的に応じないつもりです。それは当方の持つ書く自由においてです。
今願うのは、もし私が過去このブログで書いたことで傷つけられた、不快な気分になったという方は、さらなるブログは読まないでもらいたいということです。私としては、特定の一個人を指弾してことさら取上げたこともないし、今後ともすることはありません。また、その方が読んで何か不快になられたとしてもそれはその方の勝手であり、当方が責をおうべきことではないと考えます。ならば互いに無関係であるならば問題は何も起きません。
今思うのは全て包み隠さず、どんなことでも正直かつ真摯に書き記していきたいということです。正直は実は美徳でもないし、それで自らが誠実だなどと思い込むのは大きなカンチガイだときちんと理解した上で。書かないほうが実は良いことだって沢山ある。だけどそれでも書かざる得ない心情だけご理解ください。ある意味、こいつはそういう病気だと思ってほっといてくだされば一番助かります。書かない自由があるならば書く自由もあるということで。
人は人それぞれであり、生きかた考えかたが違います。その人たちが関わるとしたら、マイナスの方向でなく、プラスとなることだけで関係を持ちたいと切に願います。私にも誰にももう時間があまりありません。その限りある人生の中で何が共にやっていけるか模索したいと思っています。その上で、あれこれ考えつつまだできることをしていこうと考えました。そのお知らせと報告の場が次のブログです。
http://masdart.asablo.jp/blog/
その上でどうか今後とも宜しくお願いします。 マスダ拝
突然のお知らせで申し訳ありません。
諸般の事情でやむをえず終わりにすることとしました。
長い間ご愛読ありがとうございました。
お元気でしたらどこかでいつかまたお会いしましょう。
本当に長い間のお付き合い有難うございました。 ごめんなさい。
マスダ昭哲 2010年 10月3日
全てが限界だからこそもう無理はできない。
まず入院中の老母だが、おかげさまで明日土曜日に退院できることとなった。そのことをまずお伝えしたい。ご心配おかけしました。
ちょうど一週間、ふだん元気な彼女としては、お産以来の本格的入院だそうで、親父ならば、病気の問屋のような人だから入退院は年中行事のことで慣れもあるが、今回、母の急な不在はこちらにもかなりの負担が及んで正直疲れた。今はともかく安堵している。
それにしても忙しいときに限ってあれこれいくつも用事が重なるというのは、皮肉な法則だそうで、しかもこの殺人的な猛暑の最中、親父が熱中症にならないよう、目を光らせ体調管理に気を配りつつ、自らの仕事も傍ら進めていくのはしんどかった。立川の病院まで車で通っていても、炎天下に停めてあった車の中は約40度でクーラーかけてもちっとも涼しくならない。汗が目に入ってきて、その行き来だけで脱水気味、熱中症一歩手前であった。
忙しさのあまり目が回るという言葉があるが、この異常な暑さの中、家事以外にも家の工事のこと、老父老犬たちの世話、その他CD製作の作業、コンサートの準備活動、注文本の発送といくつものことを同時に抱え、何をするにも汗は滝のように滴り落ちクラクラ目眩もして、その都度水風呂に入っては頭を冷やし正気を保った。
母が戻ってきても冷房機器のないこの家では室内で昼夜問わず温度計は常に30度以上を指している。果たしてまた体調を崩さない保証はない。もういっそ、昼間はどこか近くの老人施設に二人とも連れて行き、預けるしかないかとも思う。しかし、それでも夜になっても毎晩32度もあっては夜も氷枕なしでは眠れない。今はただこの殺人的猛暑がおさまるのをひたすら願い待つしかない。
ともかく今を、ここを乗り切ればまた次に移れる。まずはこの記録的暑さを家族全員で無事に越せるかだ。記念ライブの宣伝や準備、その打ち合わせも含めやるべきこと、抱えていること、進めなくてはならないことはあれこれ山ほどある。しかし、まずはここを乗り切ること、全てはその次の話だと今は無理やり納得させている。
この時代、こんな状況では誰も人のことなどかまっていられないし、助けてもくれやしない。まずは、御身大事で身の程をわきまえて、この危機的状況を乗り切っていこう。皆さんも無理なさらずご自愛ください。どうかお互いお元気で。
日本のどこにも米軍基地はいらない。
家のことで腰痛がひどい。つきなみな言葉だか青息吐息、まさに息するのも痛い。だが今日は無理して隅田川フォークフェスの打ち合わせもあったので両国眺花亭へ行ってきた。全盛期のクレージーキャッツのビデオを堪能してきた。彼らと同時代に生き、ほぼリアルタイムで観続けてこれたことを誇りに思う機会であった。
さて、テレビもラジオでもニュースを見ず、帰ってネット上の情報だけで知ったのだが、社民党の福島党首はけっきょく罷免されたらしい。驚くに値しないし、自分ならば当然彼女と同じ立場のことをとったと思う。連立政権を与したかはともかく、もし政治家が政治家として「公約」ということを真摯に守るべきだと当たり前のことを思えば当たり前すぎることであろう。
鳩山由紀夫は先の選挙で普天間基地問題は、現行案を見直す、最低でも沖縄県外と言い切っていた。それがどこも受け入れ先がなく、結果もとの木阿弥で沖縄、辺野古にお願いしたいと頭を下げられたって、沖縄県民ならずとも誰がそれを諒解できようか。民主党政権を誕生させたのは、そうした「公約」を信じたからだろう。それが今頃になって日米合意を最優先して、自民党政権時代と同じ方針に戻るならいったい何のための政権交代なのか。沖縄県民ならずともバカにするのもいいかげんにしろと言いたい。
愚作とか世間知らずとか鳩山を非難する以前に、こんな輩に政権を託した国民自体が恥じ入るべきだと思う。俺、増坊は、もう政治のことは書かないつもりでいた。何故なら、身近な「左」の人たちがかなりの割合で、民主党とその連立政権を支持していたからだ。自分としては全く彼らのことを評価も支持もしていなかったが。
それこそまずは「お手並み拝見」とこれまで見てきた。民主党政権になって良いことも確かに少しはあった。しかし、事業仕分けも含めて、そんな小手先のことではなく、本当に国の根幹に関わること、つまり日米安保の問題をいったいどうするのかと凝視してきた。だが、何のことはない。結局は対米従属、日米安保重視で、自民党政権と何一つ変わらないどころか、右的偏向はさらにひどいのではないかと案じていた。
その挙句が迷走に迷走を重ねての辺野古と徳之島明記の日米合意である。地元の人たちのことは何一つ考慮に入れていない。心底呆れ果てた。不明を恥じろとか以前にバカも極まったと吐き捨てたい。
社民党支持者ではないが、福島党首の今回の対応は評価する。保身云々以前に、政治家として公約に対してのごくごく当たり前のことであろう。結果、大臣を罷免されようと、政治家以前に人としてまっとうなことをしたまでのことだ。
彼女とは小田実の葬儀のときに、同席して初めてそばで会いその小柄さに驚かされた。そのときは辻元の号泣ぶりに目を奪われたが、毅然としたその姿に好感を持ち心に残った。そして今回、彼女はその期待を裏切らなかった。政治家は公約を守れ。そして常にその公約に対して身を正せ。もし、公約が守れないならば潔く身を引け。鳩山は、お約束が守れず申し訳ないとか言い訳する以前に政治家を辞めろ。国民はその政治家に一票を託すのは公約を信じたからだ。その公約が果たせず、守れないならば辞して選挙で信を問え。
これは誰でも思っていることだと思うが、日本のどこにも米軍基地はいらない。ならば日米安保条約を破棄して、この国は米国に頼ることなく真の独立国になるべきではないのか。なぜそう発想しないのかそのことが不思議でならない。俺は横田基地の、米軍飛行機の滑走路の延長線上、その真下で子供のときから暮らしてきた。その騒音被害と、福生の町で米軍兵と常に付き合い暮らしてきた。そして彼らの良い点も悪い点も基地があることの利点もすべて含めて発言する。この国には米軍基地はいらない。有事のためであろうが基地はいらない。そもそも何で独立国が他国にその安全保障を任せねばならないのか。そして自国の中にオフ・リミッツの日本国なのに日本人が入れない外国基地があるのか。おかしくないか。それが当たり前なのか!
政治家は自らの発言に責任を持て。そして公約を守るは当然として自らの信念を持て。国民の声に耳を傾けろ。この国は日本人のものだろう。米国のためにあるのではない。国民をないがしろにしてアメリカの顔色を伺うな。本末転倒となるな!
報告滞って申し訳ない。
連日終電近く、酔っぱらってフラフラになって帰宅している。今晩で4日連続だ。自分でも無理しているとわかっているし、無理を通して何とかなっているこの肉体に感心もしている。睡眠不足どころか寝て起きても体は鉛のように重いし、その体を引きずって連日あちこち移動し人に会い笑顔をつくろっている。
ミッキー・ロークの傑作映画「レスラー」では、彼自身演じる今や老いたかつての人気レスラーは、プロレスより辛いのはこの現実、実人生のほうだと言って再び死を覚悟でリングの中に戻るラストシーンで幕を下ろすのだが、つくづく酔っぱらった頭で思うのは帰れるリングがある者はそれだけで幸せではないか。自分なんてどこにも居場所はないし、その辛い実人生しか待っていない。
しかもそれはその映画と同じく自らのダメ人生が招いた帰結であり、ある意味生きている限りその人生は続いていく。ならば辛いかと問われれば辛くも何ともないし、強いて無理やりさせられているのではなく、自分が選び望んでやっていることでもあるのだからグチなど言えた筋でない。でも連日出かけて人と会い、かなりの酒を呑みフラフラになってかろうじて帰る毎日は老いたこの身にはかなり辛い。今は何も考えず全て解放され誰にも邪魔されず一日ひたすら眠りたいと願う。が、早朝から大工は来るし、そこに出かける用事も重なって寝るのは午前様だし、疲労は蓄積し慢性化してきている。それもこれも全て自分がまいた種だ。
そんなとき頭の中に流れるうたは、友部正人の昔のうた、「悦子」の一節で、つくづく「残ったものは空の酒瓶、そして一生かかっても返せない借金の山」という気持ちになる。このところ出費がすごくかさんで、幸いまだ借りてまで補填するところまではいかないが、もはや少ない貯金も完全に底ついた。金はなくなるときは加速度ついて水漏れのように消えていくものだと知った。
今晩はバロンのCD録音の打ち上げで、あの格安のはずの養老の瀧で、自分も入れてほぼ四人で2万5000円も使った。これは自分にとって新記録であり、ちょっと驚くとともに感心してしまった。まあ、いくら安い店でも夕方早く4時台から10時過ぎまでだらだら6時間も呑み続ければ当然そのぐらいになるのだが。今回はそれだけ皆呑めて楽しかったということだから何も悔やまないが、客観的視点で、自分=増坊はこれからどうなるか興味深く思う。
昔は酔っぱらって、皆と別れて帰宅すると、しだいにじわじわと後悔の念が沸いてきて、自分はいったい何をしているのかと苛んだ。でも今は、そうではなく、当然呆れもするが、逆に感心することも多い。それは他人事のように自らを見て、この男の行く末どうなるのかと訝しくとても興味深い。もうダメだろうと思う反面、もう少し持ちこたえるかと期待する気もある。
もう十分放蕩の限りを尽くしたからいつ死んでも良いと思う反面、いや、まだまだここで死んだらあかんやろと言う内面の声もある。それはともかく、今気にかかるのは藤村直樹さんのライブの報告も含めて、未だそのことがブログにかけずに日々の雑多な用件がまた次々押し寄せてきて、きちんと「報告」がいまだ出来ないことだ。これから5月に入ればいければまた大阪に行くことになるし、となると過去のことはどんどん後回しにされ、書けないまま放棄されてしまう。そうした書けなかったブログの山が膨れ上がっていく。
大阪の春一に行くにせよ行けないにせよ、一昨日の吉祥寺の渡会も含めて今月中、近日画像入れて全部アップさせていくつもりでいる。
家の方も施主がすべき作業はもうあと少しとなったし、バロンのCDのほうも今日で録音は終わった。一つ一つかたがついて時が過ぎていく。やがては家も建つしCDも完成する。そこまで体が持ちこたえられるかすごく不安だが今案じてもしょうがない。すべてそのときはそのときだ。
何せよ読み手である他者にとってはどうでもいい関心外のことだろうけれど、これからどうなるのかどう進むのか、誰よりも自分自身が興味深い。
【イベント『 40年目の、シコシコ・模索舎』のご案内=模索舎】
お世話になっております皆さま
突然のメール、BCC送信にて失礼いたします
この度2010年に弊舎は創立40周年を迎え、ひとつの区切りとして来たる3月22日に記念イベントを開催することにいたしました。
つきましてはその告知と宣伝をさせていただきたく、ご連絡させていただきました。
以下にイベントの詳細を記しております。
また大変不躾なお願いとは存じておりますが、WEB等で宣伝にご協力頂けますと幸いです。
お時間ございましたら、ぜひ当日会場まで足をお運びください。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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転載歓迎!
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【模索舎40周年イベント】
40年目の、シコシコ・模索舎
とき:3月22日(月・祝) 12:30開場 13:00スタート
ところ:大久保地域センター 多目的ホール
http://www.h2.dion.ne.jp/~aa-kkse/ookubo_a.htm
東京都新宿区大久保2丁目12-7
(JR新大久保駅徒歩8分 地下鉄副都心線東新宿徒歩5分 地下鉄大江戸線東新宿徒歩8分)
資料代:500円/カンパ歓迎!
主催:模索舎/模索舎再建実行委員会
連絡先:模索舎 tel.03-3352-3557 URL.http://www.mosakusha.com/
第1部 13:20~14:50
模索舎の時空間をめぐって
<出演者>
五味正彦(模索舎元代表)
平井玄(音楽批評家)
矢部史郎(模索舎元舎員
第2部 15:20~16:50
勝手に生きよ/人生!
<出演者>
廣瀬純(映画批評家)
五所純子(文筆業)
アサダワタル(日常編集家)
<40周年イベントに際して>
模索舎は今年で創立40周年を迎えました。
1970年に「情報センターへのシコシコ・模索舎」として設立され、これまで存続してこられたのも、皆様の温かいご支援の賜物です。謹んで感謝申し上げます。
しかしながら現在、模索舎の経営は逼迫しています。
オンライン通販や大型書店による寡占化、未曾有の出版不況が加速度的に進むなか、売り上げの落ち込みは深刻であり、40年にあたる今年の10月に果たして存続できているか、確約できない状況です。
3人の舎員で話し合いを重ねましたが、もはや舎員だけの経営努力では存続は困難であり、抜本的な改革が必要だ、という結論にいたりました。そこで舎外にも協力を求め、有志により再建実行委員会を結成し、組織運営や活動のあり方に関して何度も協議を重ねて参りました。
模索舎は通常の書店とは異なり、取次(卸業者)を経由せず、出版社や制作者の方々と直接取引し、一般書店では置かれない少部数の出版物やミニコミを、原則無審査で店頭に置いています。
小流通と無審査にこだわるのは、商業的な流通システムから弾かれる出版物も貴重な民衆の財産であり、表現の自由を保障する場であることを、その理念に掲げているからです。
出版の世界は激動期にあり、創立40周年は模索舎にとって非常に厳しい試練の年となると思われます。
そこで、まずは40周年を乗り切り、再出発を図るため、当イベントを開催することとしました。
第一部では、世の中や暮らしのあり方を捉え返す場としての模索舎の実践を振り返り、第二部では現下の時代・社会状況のなか、模索舎がいかなる場=メディアであり得るのか、率直に討議できる場にできればと思います。
またイベント開催後も、運営のあり方を見直し、より多くの方々の参加を得ながら、再生のための動きを作り出していく所存ですが、そのためにも皆様の後押しがどうしても欠かせません。カンパのお願い、サポーターズクラブの開設、イベントの開催など、追ってブログ等でご案内させていただきたいと思います。
改めてこれまでのご愛顧に感謝申し上げますとともに、いま一度のご支援をお願いいたします。
40周年ブログ
http://www.mosakusha.com/mosakusha40/
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ミニコミ・少部数流通出版物取扱書店 模索舎
〒160-0022
東京都新宿区新宿2-4-9 電話03-3352-3557 fax050-3505-8561
営業時間 11:00~21:00 URL:http://www.mosakusha.com
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背中と咳の次は目にきた。
病院に行って、気管支の炎症というか、咳と痰を押さえる薬を二種類出してもらい服用するようになってから、咳は収まってきて気の持ちようもあるのかもしれないが、背中の痛みも一時よりはだいぶ軽くなった。それだけで気持ちも前向きになる。
一方、この数日、目が涙目というのか、しょぽしょぼで痛くて開けてられない。明るい刺激に弱いのは前からだったが、寝て目を休めてもなかなか良くならないので困っている。こういうのをドライアイと言うのだろうか。医者に行ってもたぶん目薬ぐらいしか出してくれないだろうし。
このところ出費がかさみ、つい金を稼がねばと無理して本の出品数を増やし、パソコンに向かう時間が多かったからいけなかったのか。
結局これは全て老いの一環なのだとも思うが、困ったことだなあ。そんなこんなでパソコンにも長く向かえず、ブログも気持ちが萎えている。ともかく早く沢山眠ってできるだけ目を休めることぐらいしか手のうちようがないようだ。そんなで今日はこのぐらいで。
秋葉原大量無差別殺人事件初公判 雨上がりの春先を思わせるしっとりした宵である。風邪は相変わらずだが、ちょっと困ったことに親父達、老親に感染ったようで、2人とも今朝から風邪気味になり、鼻水垂らしたり微熱が出たりして今様子を案じている。今度のはうんと高熱は出ないと自分を省みて今のところは楽観的にいるのだが、果たしてどうなっていくか。
今日のニュースは、一昨年起きた秋葉原での無差別大量殺人事件の初公判が大きく取上げられていた。犯人の加藤某被告は、法廷で被害者と遺族に謝罪の言葉を述べたとのことだが、この事件私的にも深い関心を抱いている。というのは、彼のしたことは決して理解不能ではないし、ある意味同じような筋道で考えれば、自分も含めてネットも現実もひっくるめて現代社会では常に起こりえることだと思う。
彼を弁護する気は毛頭ないが、甘えているとか簡単に批判断ずる前に、彼の社会に対する利己的な恨みや苦悩、独白的叫びに社会が耳を傾け誰かが少しでも相手にしていたらばこんな事件は起きなかったのだと思える。つまり、携帯の掲示板で彼が執拗に訴えていたことを一人でも汲み取って耳を傾ける人がいたらば、彼も凄惨な事件を仕出かさなかったはずだということだ。彼自身の理性は直前まで躊躇っていたのだから。
翻って自分だって、ネット古本屋といったって、今は音楽仲間と暖かいブログ読者が沢山いるからともかくも、以前は自宅でひたすらパソコンにだけ向かい、誰とも会わずにネット上だけで商売をしていた。古本を出品し注文が届けば本を梱包し発送しいくばくかの金を得る。ただ、それだけの作業で、何日も誰とも会わないし一言も口をきかないし、購入者とも私的やり取りは一切ない。そして注文が日々あればともかく、毎日その何十倍も届くメールは、愚にもつかない下劣な出会い系勧誘メールばかりで、会った事もない女なのに貴方のことが好きです、セックスして下さいとか、女性を逆援助すれば何十万も振り込みますとか、偽ブランド品の勧誘やら怪しいどころか不快な不要かつ執拗な同じ文面、タイトルのものばかりで、拒否しても拒否しても届いてそれを消す作業だけで鬱々としてきて頭がおかしくなる。
そのように自分が繋がっている世界がネットだけで、掲示板でもブログでもいいがそこに何か書くことしかできず、しかもそれに誰からも反応ないとか、全く無視されてもしも反応あってもそこでバカにされたりしたらばどんな気持ちになるか、それは実際他人事ではない。やがては屈託が高まり、派遣先の仕事を失うとか現実の私生活も息詰まってしまえば、不安と孤独でおそらくきっと発狂してしまうだろう。そのあまり自殺を考えてもおかしくないし、ならば死ぬ前にその怒りと鬱憤を自分を無視した社会に向け復讐してからと考える心境もあながち想像に難くない。そこまで極限状態に追い詰められている。そして彼が選んだ社会と繋がるアクションは無差別に他者を殺すという手段だったのだ。
大切なことはそこまで異常な事態に、一人で悶々と発狂寸前になるまで疎外された状況にならないよう、周囲が、つまり他者が何らかのこと何かできないかということだ。その人を救うなんておこがましいし他者ができることなんて実は何もない。しかし、まずは人と人がほんの少しでも繋がって、ほんの少しでも関わりを持てば、もしかしたら何かが始まって一人のときより違うことが起こるかもしれない。
人はひとのために何かをすべきだとか、何かができるなんて思うのもおこがましい。でも、やはり人は人と少しでも繋がってどこまで関われるかなのだと思う。そのきっかけはどこにでもある。ネットの世界にだってあるし、職場や家庭、学校、日常生活にだって。そして面倒でもそれをするかしないかで、世界はもうちょっと楽に住みやすいものになるのではないかと考える。今の時代、人は互いに孤独すぎるし他者に無関心すぎる。ならばもう少し人は人と関わり繋がっていったほうが良いと思う。他者への無関心は詰まるところ社会そのものに、そしてやがては自分にさえ無関心となって返ってくるのである。
今日の公判、加藤被告のことを考えて、あらためて自分は人ともっと繋がって関わっていきたいと思った。事において常に反省することになってもそれはやはり間違っていないと確信した。音楽は自分を人と結びつけ社会を広げてくれ危なかった自分を救ってくれた。その手段をこれからもいかして人ともっともっと繋がっていきたい。
今年初めての雪の日に 考えてみるとこの数年、冬が来ても積るほどの北国のような雪は見たことがない。去年は一度もちゃんとした雪は降らなかったと記憶するし、毎年冬が来ようと、その仕度も備えもしなくとも寒い寒いとこぼしたとしても気がつけばすぐ春になってしまうのがこの例年の話であり、それだけ温暖化は進んでいるのだと改めて思う。おそらくあと10年もしたら、東京でも雪が積るほど降ったということは昔話のように語り継がれるようになるのではないか。今の子供たちには雪とはスキー場で見るものであろう。
今日12日は天気予報どおり、多摩地区でもそれなりに雪が降った。といっても積るほどではなく、みぞれ交じりと言うべきか、午後から一時うっすらと白く地表を覆ったぐらいで、すぐに氷雨となり消えてしまった。それでも初雪である。そして当然寒く、室内で室内履きを履いて作業していたのだが、足の指の感覚がなくなるほどだった。まあ、これが本当の冬なんだと思う。
今日は中川五郎さんの録りためた音源を整理して、16日の下準備をした。ライブに行く度録音していたものをサポートしてくれる方たちに念のためにCDにして渡すための作業である。それで何度もまた繰り返し彼の「うた」を聴きなおしたわけだが、気恥ずかしくなるほどその真正面からテーマに向き合う姿勢に改めて驚かされた。いや驚くというのは正しくない、感心させられ圧倒されたというのが最も近い表現だと思う。
衒いも外聞もなくここまで政治や世相、社会情勢についてプロテストしていく人のメンタリティとはどこかにありそれがどこから来るのか正直不思議にさえ思った。やはり今の時代、うたにメッセージを込めて大上段に構えてしまうとうたとして気恥ずかしいというのが、古川豪さんも語っていたが自分も含めた感覚のように思える。だから遠藤ミチロウのように真剣にやることでギャグ的に逃げ場を設ける手法はまたすごく理解できる。しかし、五郎さんは60年代から変わらないどころか親友高田渡亡き後、ますます過激果敢にまっ正面から前衛に進んでいる。それは真剣至極である。頭脳警察のパンタと親しく共作が多々あるのもすごく頷ける。他に今現在こんなうたを作り唄う人は知る限り誰もいない。かつてフォークソングが持ちえていた志を今に伝えている。いったい何が彼をここまで駆り立てているのかそのことをとことん追求してみたい。
えっ何のことを言っているのか、ともかく、おいで皆さん聞いとくれ、としか説明の仕様がない。1923年福田村の大虐殺って・・・ そう、どんなだろう、である。