秦政明とURC関連年譜 1970年から終焉まで
1970年
1月 高石が抜けたため、高石事務所は音楽舎へと名称変更。
竹中労企画「禁歌集」シリーズ、スタート
4月 岡林、バックにはっぴいえんどを従えロック志向で再登場。
遠藤賢司「niyago」
5月 ラブインロック(天王寺野音)
吉田拓郎「古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう」(広島フォーク村)
6月 岡林「見る前に飛べ」
7月 岡林 狂い咲きコンサート=日比谷
高石 帰国コンサート
8月 第2回中津川フォークジャンボリー 加川良登場 圧倒的人気を得る。
はっぴいえんど「はっぴいえんど」=ゆでめん ※URC系ミュージャンとロックが融合していく。
9月 フォークジャンボリー記録映画「だからここに来た」完成公開
12月 「フォークリポート」月刊から季刊へ
1971年
1月 クライマックス「花嫁」大ヒット
2月「フォークリポート」わいせつ容疑で押収される。※中川五郎の小説「二人のラブジュース」掲載。
高石友也、ナターシャセブンで活動開始。
5月 第1回春一番開催(天王寺野音)=主宰福岡風太
6月 加川良「教訓」
7月 関西発の情報誌「プレイガイドジャーナル」=プガジャ創刊。
8月 第3回中津川フォークジャンボリー
岡林「俺らいちぬけた」「狂い咲き」
12月 ディランⅡ「きのうの思い出に別れをつげるんだもの」
1972年
1月 友部正人「大阪へやってきた」
3月 関西フォークキャラバン行=中山ラビ、豊田勇造、古川豪ら
11月 中川五郎、秦政明、フォークリポートわいせつ事件で起訴される。
如月ミュージックファミリー設立 音楽舎所属のミュージシャンの大部分が移籍する。
シバ「青い空の日」 三上寛「ひらく夢などあるじゃなし」 斉藤哲夫「君は英雄なんかじゃない」
1973年
4月 「フォークリポート」休刊
5月 フォークリポートわいせつ裁判開始
なぎらけんいち「葛飾にバッタを見た」 古川豪「羅針盤で星占いはできない」
1974年
2月 如月ミュージックファミリー、活動停止
8月 妻恋コンサート、ワールドロックフェス、8・8ロックデー、福岡ビッグフェス、夕焼け祭 ※大規模コンサートが各地で開催される。
12月 URCレコード エレックへ販売を委託
「かわら版キャラバン沖縄ライブ」=小林隆二郎
「関西フォークの歴史1966~1974」(2枚組) 3集まで
1975年
10月 宮里ひろし「長い旅がいやになる」
12月 ひがしのひとし「マクシム」
1976年
6月 エレック倒産
10月 URCレコード、東宝レコードへ
1977年
UDCを企画、レコード通信販売 中島光一他アルバム3点、シングル2点
1980年
1月 URCレコード、SMSレコードへ
11月 フォークリポートわいせつ裁判、最高裁判決「上告棄却」二審有罪確定
1989年
7月 URCレコードとアート音楽出版、SFC音楽出版へ
1992年 アート音楽出版、シンコー&PNPへ
1995年 URCレコード、東芝レコードへ
2002年 URCレコード、エイベックスへ 現在に至る
2003年
3月 秦政明死去
この年譜は、秦氏とも関係深く、アート音楽出版に在籍していた村元武氏が出していた雲遊天下誌第34号(2003年発行)掲載の「秦政明とURC」とレコード・コレクターズ誌2003年4月号掲載(URC特集)を元に構成した。その年ごとに出た主だったレコードアルバムも載せておいたが、他にも多くの秀でたレコードが出ていることも付け加えておく。また、事実誤認などあればぜひご指摘願いたい。 マスダ編
★加川良のデビューアルバム「教訓」。ちなみに、アート音楽出版の社員であったため、本名は使えずハンサムな彼用に考え出された芸名「加川良」とは、加山雄三、長谷川一夫、池部良の男前三人の名をブレンドして創られたという「伝説」が残っている。
★友部正人の衝撃的なデビューアルバムは、当時新進人気マンガ家、真崎守がジャケットを全面的に手がけ、裏側の曲名などの書き文字まですべて真崎が担当している。今見てもポップで意欲的すぎるアルバムジャケットだ。