日本のフォークソングを創った男、希代の革命児秦政明
出版や流通の世界では、とある一個人の企画や発案が大ヒットし、ブームを生み出しその後の大衆文化の歴史そのものを変えてしまうことも多々ある。昭和初年の改造社の山本実彦による円本ブームもそうだし、近いところでは角川書店の当時の社長角川春樹による映画と出版相互に巨額な宣伝費をかけてのメディアミックスによる大ヒットもそうだ。
そして日本のフォークソング史を鑑みるとき、そこに秦政明という天才的プロデューサーの存在に決してふれないわけにはいかない。
彼曰く、「はっぴいえんどはわからなかったから若い連中に任せたが、高石友也、岡林信康、加川良までは俺がつくった」(ひがしのひとし氏聴き記す)と、自ら自負するように、60年代後期、自然発生的に生まれたかのように見えた高石、岡林を両輪とした関西発のフォークソングの大ブームも実は信じ難いことだがそこに仕掛け人がいて、、その秦政明がいたからこそ、まずURC(アングラレコードクラブ)が生まれ、多くのミュージシャンを擁した高石事務所(後の音楽舎)が生まれ、楽曲の版権を所有したアート音楽出版が出来たのである。そしてそれらの社長だったのが秦政明であり、まさに彼いなくば、果たして今日でも「春一番」で観ることのできるような、日本的フォークソングは生まれていなかったのではないかと考える。極論すれば、自作自演で素人が自らの唄を歌う高石、岡林たちが出てこなければ、吉田拓郎や陽水も後に続いていたかわからないし、荒井由実はともかくもその後のニューミュージックシーン、現在のJ・ポップは果たしてどのような姿になっていたかということだ。
今日に至る日本の若者文化としての軽音楽の出発点はまず関西フォークだと考えるし、それらを商売として軌道に乗せ、レコードの企画、販売、さらにはコンサートの開催、歌い手のマネージメントまで考案、管理したのが秦政明であり、それはそもそもがメジャーのレコード会社に頼ることなく、自主独立の気概で自らが始めた運動体URCから生まれたことを思うとき、その創始者である秦という男のことはもっと大きく語られ扱われなくてはならないはずだ。
しかし、知る限り彼に関する評論や自伝本の類はまだ一冊もこの世にはなく、かろうじて黒沢進氏のフォーク史に関する著作、著述の中などで扱われているだけで、一部の好事家以外にはマイナーに扱われていることは大変残念でならない。
というわけでもう少しこの元祖インディーズレーベルURCを生み出した男について書いていく。