同じ時代を生きていた方々と結びつく幸せ
とりとめとなく、日々その時々思ったことやしたこと行ったことなど脈絡なく書いている。だから読み手がいようといまいと本来は関係ないのだが、やはりコメントやメールを直接頂いたりと反応があると当然嬉しい。中でも自分なりに真剣に力を込めて書いたこともだが、逆に、あまりに私的なことなのであくまで覚書のようにしてに書き記しておいたことに反響があると驚きさえ覚えてしまう。
先日、数回に渡って70年代の「春一番ライブ」のことについて書いた。正直なところ、そんな30年も前の、しかも大阪で行われたコンサートなどもはや誰も知らないだろうし、一部のフォークファンはいざ知らず読者にとって今日では全く関心外のことだと覚悟の上で開き直って書いてみた。反応は全く期待してなかった。
ところが、すぐ何人か読者の方からはCDの読者プレゼントの応募も届いたし、その中のある方はそのときやはりその場、天王寺野音にいたことを記してあり、またある方は京都で豊田勇造や古川豪さんらの「七夕コンサート」もずっと観ていたと書いてある。また届いたメールでは、朝野由彦をあの頃中津川のフォークジャンボリーで観たことも記されていて、あんな記事をこんなに読んでくれた方々がいたのかと正直びっくりした。その誰もがまさに通であり、例えはヘンだが蛇の道はヘビという感じがして感動してしまった。それにしても30年前に同じときを共に過ごしていた人がこれを読んでくれて、連絡があるとは思いもよらず感無量と言うしかない。
増坊のような無名な一個人が何かを書いたとしたって、本来それは誰の目にも届かずに、呟きのようにその場で消えていくもののはずだ。昔、うんと若い頃は仲間を集めてミニコミのようなものを出していたこともあるのだが、毎号かなりの労力と資金と時間を費やしても反響はさほどなく、そしてその声が届く範囲は当然の如くごくごく狭く小さかった。
しかし、21世紀のネット時代、ほとんど何の労苦もいらず、こうしてブログにその思ったことを書き綴れば、その書いたことへの関心ある方は、すぐそれにアクセスしてくれて、遠く離れたところから見ず知らずの人でも反応を返してくれる。新聞や雑誌などのマスメディアを用いなくとも、アンノウンな立場でアンノウンな人たちが直接結びつく。このことは本当に素晴らしいことだとまた改めて思い至った。
携帯の普及やネットで、人と人の関係は希薄になったと言われるが、ブログにせよネットにせよこれはあくまでもきっかけであり、手段としてのこれを通して、会う会わないはともかくも直接のやりとりや親交が生まれていくはずだし、個人的にはそれを強く望んでいる。やがてはどこかのライブハウスで増坊を見かけたらば気軽に声をかけくれればそれだけでも有難いと思う。
それと、先の自主録音自主製作CDであるが、とても風太が編集した春一番オムニバス盤のように1年10曲と絞れずに、各アーチストごと数曲づつ入れると77年の分だけでも3~4枚となってしまう。つい、貴重な語りとかも入れてしまうので長くならざるえないのだ。とりあえず複製だけは少し出来たので希望者には明日から順次発送していくので、もう少々お待ち願いたい。