階層の固定化と格差社会
増坊が今借りている倉庫の近くに評判のラーメン屋がある。量が多くて値段も安くてしかもうまい。ガイドブックなどに取上げられることは少ないが、トラックの運ちゃんの間では口コミで話題が広がり、昼時などはその店がある街道筋は大型車がびっしり並んでいる。
その店は、今四十代半ばの女主人が一人でやっていて、詳しい事情は知らないが、二十歳そこそこで離婚して幼い子供二人連れて実家のラーメン屋に戻り家業を継いだことは確かだ。子供は男女二人で、息子のほうは、先に家を出て働いているらしく見た覚えがないが、娘のほうは、よく店にジャージ姿でたむろしていて店を手伝うわけでなく、高校を出て働いてないのかと思っていたら、1年ぐらい前に行ったら腹ボテで、どうやらできちゃった婚で結婚するのだと聞いてびっくりした。
相手の男も同い歳だかで二十歳そこそこらしい。そしてこの夏前に子供を産んだはずなのだが、産む数日前に行ったときは店で大きな腹でぶらぶらしていたのを見たがその後どうしたかこのところ行っていないので詳しくはわからない。こちらは客でしかなく、聞くともなくおしゃべりな女主人と他の常連客とのやりとりでそうした事情がだいたいわかってきたのである。その娘がやがて離婚するかはともかく、この経緯を知って思わず「階層の固定化」という言葉が頭に浮かんだ。
その娘がまた出戻らなくともこうした人たち、仮にヤンキーやガテン系の人たちではほぼ親の生き方をそっくりなぞったような人生を繰り返すことが多いように思える。親の仕事は継がなくても同業種か近しい肉体労働に就くことが多いようだ。
一方これは以前読んだ記事で詳しい数字は覚えていないのだが、今の東大生の家系を調べると親もまたその祖父も東大出身ということが非常に多いそうなのだ。また医大生も然り。医大にしろ東大にせよ、世襲で誰でもなれるわけではなく、厳しい高度な試験に受からなくてはならないのだから、それだけの優秀な頭脳の遺伝という家系のおかげだとも思えるが、それよりも実は環境が大きいとその記事にはあった。
つまり幼少から周囲の要請と当人の自覚と、それに合った環境が整い、教育に十分金をかけられる家庭の子が安い国立大学に入れるのである。医者になるためには巨額の金が必要なのも周知のことで、とても一般家庭では子が望んでもその願いをかなえてやることは難しい。いきおい金のある個人病院の子弟がまた医者になるのであろう。東大もまた同じで代々官僚の家系は子息を東大に入れてやがて官僚職を継がすのである。
英国は昔から階級社会だと言われ、貴族もいるが、労働者階級の子弟はどうあがいても生涯その階級から抜け出せないと聞いた。日本は戦後は新憲法下において、職業選択の自由も含めて、万民平等で階級はないとされていた。アメリカン・ドリームというほどでないにせよ、貧しい百姓の家に生まれた者でも努力すれば東大に入れるはずであった。しかし、時を経るにつれてまたいつの間にか階級は階層と名を変えてまたしっかりと固定化してきているように思える。
つまり金持ちの家に生まれた人たちは子々孫々代々金持ちであり、貧乏人の家に生まれた者は孫の代まで貧乏人のままだということだ。それが格差社会ということであり、金持ちはより金持ちになり貧乏人はさらに貧乏に拍車がかかる。
かつては日本は一億総中流という意識を持っていた。今にしてそれもまた支配者側が仕組んだ「幻想」だったとも思われるが、じっさい国民の多くがそう信じる実感がある時代もあった。それが近年小泉構造改革が進むにつれ、自らが貧困層、下流であると意識する人の割合が年々増え続けている。
麻生太郎たち金持ちにとっては階層の固定化は望ましいことであろう。しかし貧乏人がますます貧乏になるとき消費は落ち込み結果国力は衰え日本は衰退していくだけでしかない。真にこの国を愛するものならば掛け声だけでなく、自ら血を流して金持ちと大企業には重税を課し、経団連が望むように消費税をさらに上げるのではなく逆に食料品などには非課税とし何よりもまず国民の所得の引き上げを図るべきなのである。