売り家と唐様で書く三代目
麻生新総理が誕生してから、いや安倍首相の頃からか、三代目に絡めて上記の川柳が比喩としてあちこちで目にすることが多い。が、その意味は今の人には伝わっているだろうか。
これは誰が作ったものか今手元がゴタゴタしているのでわからないが、巷間昔から「三代目」のダメさかげんを揶揄するためによく言われている格言のようなもので、江戸川柳の一つだと思う。
その意味であるが、まず商売でも何にしても三代続けば安泰だと言われ、大概は三代目、つまり創業者からすれば孫の代でダメになってしまうことが多いことからきている。それは何故か。
初代はまず必死にその商売を軌道に乗せようと寝ずの苦労さえもする。息子である二代目はそれを幼いときから見ているからようやく成った身上=財産を減らさぬよう家業を継いでも懸命に努力する。ところが、孫にあたる三代目ともなると、彼が子供の時にはもう貧乏ではなく、商売も順調にいっているからそんな苦労は知らない。自らの趣味と道楽に夢中になって、やがてはせっかくの財産を食いつぶしてしまう。そこでこの川柳となる。
商売はそっちのけで遊蕩にうつつを抜かし祖父と父が築いた財産を使い果たし、結局その持ち家さえ手放すはめとなった三代目は、その看板の文字さえも唐様(からよう)、つまり趣味をいかし素養ある様式美で書いてしまうというわけだ。なかなか辛辣ではないか。この短い句の中に趣味と道楽に身を持ち崩した三代目の有様が的確に描かれている。
翻って今の「三代目」の皆様はどうであろうか。特に政治家は今や世襲制だから、二代目、三代目が掃いて捨てるほどぞろぞろいる。安倍元首相も小泉もそして麻生太郎も皆三代目である。世襲も含めて家業を継ぐことは決して悪いことではないはずだ。しかし、大方の場合、この川柳のように、やがて自らの家をも売りに出すこととなってしまうのではないか。
特に安倍元首相など華々しく岸の孫だと名乗り登場した挙句のあの体たらくである。二代目でも先の福田の場合も似たようなものだ。創業者の苦労は知らずその栄光しか知らないからまさに七光りだけで一国の首相となっても行き詰るとすぐに投げ出してしまう。自分の家を投げ出すならともかく、この場合投げ出すのは政権、つまりこの日本国の運営なのだ。これでは国民は本当に困る。結局この川柳から見えてくることは、苦労知らずの三代目には何事も任せてはならないということであろう。それは一人麻生太郎も例外ではない。
彼が所信表明で口にした、強い国、明るい国日本もどこそかの三代目が先にキャッチフレーズとして取上げて失敗したものの焼き直しにすぎない。結局豪邸に住むお坊ちゃんには庶民の暮らしなど根本的にわかっていない。これは愛国心の発露では全くない。