命の危機を知らされてから
真夜中の電話は、病院からで、女児は今極めて危険な状態であり、頭蓋骨を開頭して内出血を取り除く緊急手術をこれから行うというものだった。
それからが辛かった。もちろん手術室の外で手術の成功をただ祈っている若い親たちの心痛はどれほどかとも思ったが、こちらも手術はどうなったのか心配で心配で、ただその後の連絡を待つことしか出来ず、電話機を前に立ちすくんだり動物園の白熊のようにうろうろすることしかできなかった。時間のたつのがすごく遅く、あんなに長い夜はそれまで経験したことがない。
慌しい一日で汗臭いままだったので、風呂場で汗だけでも流そうと、いつ電話があってもすぐ出られるようにドアを開けたまま急いで体だけ流した。そして風呂から出たとたん猛烈な寒気に襲われてガタガタと震えて立ってはいられずその場にしゃがみこんでしまった。
恥じすべきことだが、実は事故を起こして子供を撥ねたのに、それまで自分ではそのことがピンと来なかった。まさに夢を見ているような感じで、その実感が全くなかった。しかし、電話で今幼い命が失われようとしていること、そしてその原因は自分がしでかしたことなのだと理解し、大変なことをしてしまったとようやくわかったのだ。
震えが去ってから、電話を玄関先に持ってきて、戸を開けて表の道に出て、事故に遭った子供の家と自分の家の間をお百度参りよろしくただひたすら祈りながら何度も何度も歩いた。とても部屋で電話を前にじっとしてはいられなかった。動いていないと気が狂いそうだった。でも4時間が過ぎても電話はかかってこない。
夜が白みはじめ、小鳥たちが囀りはじめ、待つことの不安に耐え切れなくなって、自転車で直接病院へ行くことにした。救急病院は幸い市内にあり、約10分ほどで着いた。夜間出入り口から警備員にことわって中に入り、受付の職員を呼び出し、手術はどうなったのか尋ねた。パソコンに向かい調べている間の時間の重く長かったことは生涯忘れないだろう。「今、宿直の医師が降りてきます」と言われて待つことになった。
当直医の口から手術は無事に終わったこと、女児は今休んでいると言われ、ほっとしたのだったが、実は女児の親たちはまだこの二日が山だと言われていたのである。それを知らずに、いったんは安心してしまった自分だった。