ブログに書けること、書けないこと・補足・若林さんのこと
今朝は雲一つない青空。風も強くその分すごく冷え込んだ。東京多摩地方は昨晩少しだが雪が降った。たぶん初雪だと思う。
今朝は寝坊して起きるのが遅かったので、道はほとんど解けていたが、外に出していたガラクタやゴミの本の山にはうっすらと白いものが積っていた。
このところ庭先にはいつもものを出してあるので、雨の音がすると寝ててもたいがい目が覚めるのだが、昨晩は静かに音もなく雪は降ったようで、まったく気がつかず朝になってびっくりした。一年で一番寒いのはこれから2月にかけてなのだ。
さて、予定を変えて、このところ考えていることやあった出来事について少し書かせてもらいたい。ブログというものをこのシステムで始めて間もなく3年目となるのだが、迷いではないが、改めてようやく気がついたこともあったので。まず、あったことの報告したい。
いつも読んでくれている方はご存知のように、この正月の間は、何回か続いて若林純夫さんという先年亡くなられてしまったフォークミュージシャンを取り上げ書いてみた。ブログの読者からはほとんど反応はなかったのだが、彼のご遺族の方が偶然それを目にして、有難い事に当方に直接メールを頂いた。そして何度かメールのやりとりの後、一昨日のこと電話で実際お話しする機会を得、若林さんの70年代半ば以降から近年亡くなられるまでの山口での生活の様子などそのお人柄も含めて詳しくお聞きすることが叶った。信じられないが本当の話で今でも夢のようだ。
自分としては約30年間の彼に関する空白が埋まったのだが、そこで知ったことはこのブログで書くべきか自問すると、書きたい気持ちもあるものの、やはり書くべきではないと判断した。何故ならば彼は近年は一私人であり、プライバシーの問題以前に、こうした場、どこの誰かの目にふれるかわからないブログに他者のことを公にするべきでないと考えたのだ。
考えてみると、自分の書いてきたことは常に「自分のこと」だけだった。他者を題材に取り上げたことも多々あったが、実はそれは他人を通して自分を語っているに過ぎなかった。笑われるかもしれないが、ようやくそのことに気がついた。
自分のことならいくらでも書けるが、他人のことは書けない。書くべきではない。それがブログだった。
若林さんのことは、彼のファンであり、今も彼の思い出を持つ方に問われたら、増坊が知りえたこと、晩年のご様子、お聞きしたところの人柄なども直接お知らせしたい。だが、申し訳ないが、こうした場では先に書いたあの時点で知っていることだけに留めておきたい。
もし付け足しておくとすれば、若林純夫とは、生涯音楽を愛し、家族を深く愛し、多彩な趣味と好奇心を持ち、過去や未来に囚われることなく、「今」を一番大切にし、短いながらも満ち足りた人生を駆け抜けた音楽家であった。
彼は新潟の生まれだと今回初めて知った。東京に出るまでその地で暮らしていたようだ。“雪の月光写真師”の中の降る雪は新潟の雪だったのかと今感慨深く思う。うまく今の思いを説明できないが、改めてご家族の方とこのブログをお読み頂いた方に感謝したい気持ちで胸はいっぱいだ。
雪が降ると必ずこれからも彼のことを思い出すだろう。“僕は 僕は 僕は 雪の月光写真師さ ” 彼の歌声は今も心に残っている。