何が「日本人で良かった」のか。某女子アナのポスターから
彼女のポスターには、肩書きとして、某テレビ局元アナウンサーとあり、その横にでかく「日本人で良かった」と書かれている。この人は、おそらく外国人ではないだろうし、帰化して選挙に立候補できたという経緯があるとも思えないので、たぶん、このコピーは「愛国心」に訴えかけているのだと推測する。
ふざけるなと言いたい。このところの日本人、官僚や政治家、さらに企業家の不祥事に心底頭にきている人も多いであろう。消えた年金をめぐって社会保険庁のデタラメさは、この国の行政に対する信頼の根幹を揺るがすものであるし、今回の中越大地震でまたぞろ暴かれた原発事故の隠蔽体質も含めて、個人的には、日本人をやめられるなら日本人はやーめた!と叫びたいぐらいである。
いったいこの女性候補は、こんな国の何が良くて、日本人で良かったなどとのたまうのか。それとも個人的感慨としてそう考えるならば、書くべきは、「日本人」ではなく「自民党」であろう。権力を批判するべきマスコミの場にいた人が体制側から立候補する。それはまあ良い。しかし、この人の政治家としての資質を問題にしたい。
テレビの報道番組などで、東京地方区から出ている各議員を取り上げ、簡単に紹介していたのを見た。与党、野党を問わず、多くの候補者の中で最も無内容というか、発言は空っぽだと失望させられたのが彼女だった。まあ、それは私感に過ぎないかもしれない。
某新聞記事で読んだが、この候補者、期日前投票に自ら、マスコミを引きつれ、新宿区役所に出向いたところ、何と選挙権がなく投票できなかったのだそうだ。というのは、住民票の転入届が出し遅れていて、同一市町村で三ヶ月以上、住所を有するという条件を満たしていなかったのである。
そもそもこんなことは政治家以前に、一市民、有権者であるなら常識のはずだ。それも知らずに、政治家になろうと考えるのはその時点で失格ではないか。また、さらに彼女には長期間にわたり住民登録をしていなかった「疑惑」も浮上している。ということは当然、これまでの選挙には投票していないわけで、そんな政治に無関心な人が政治家になろうと考えること自体があってはならないことではないか。
こんな人を党公認とするのだから、自民党こそもっと凛としてすべきことがある。日本人として恥ずかしいではないか。