反省なき久間氏は、愛国心のかけらもない
体調はもう一つだが、気合を入れて書きたいことを書いていく。もう愚痴は言うまい、こぼすまい。残りの人生も少ないのだ。一日一日をムダなく悔いなく生きていこうと昨晩は寝ないで考えた。
さて、前回書いたことの続き。
結局、原爆投下を容認する暴言で大騒ぎとなったため、昨日、久間防衛相は、参議院選挙を前にお騒がせして申し訳ないと、急遽辞任を決め、とりあえず騒動は収まったかのように見える。
しかし、本人は心底反省しているようではなく、あくまでも「誤解を招いた」というスタンスを崩していない。政府与党だって、報道で全国的に大騒ぎとなって選挙直前ということもあり、問題発言だと批判が出たわけで、選挙がなければ、安倍首相は例によってシカトし続けただろう。今回だって、注意を与えただけで、毎度かばい続け自ら罷免することなく、自主的判断に任せたという無責任さは相変わらずである。
それに発言の出た当初は、首相自身が、「大臣はアメリカの考え方を紹介しただけ」と、すっとぼけたことを言っていた。一体この人たちは、そもそも何故この久間氏の発言が問題となったの全く理解していないようだ。
近年、特に安倍政権が誕生してからは「愛国心」という言葉がやたら多く登場している。教育の現場にも愛国心だか郷土愛だか知らないが、そういう国を愛する気持ちを子供たちに教え込もうと、新しい教育基本法が先ほど成立した。
だが、この久間氏の発言だけをとらえても、まさに対米従属、アメリカの言い分そのままで、無批判にアメリカの原爆投下の「理屈」を受け入れている。まったく情けない。こんな輩に「愛国心」を語る資格や強制されたくないとつくづく思う。昔ならこういう奴らを「売国奴」と言った。
もし首相が言うように、「戦後レジームからの脱却」を本当に望み、実現するのであれば、まずは、戦後60年間延々と続いてきた対米従属外交をやめて、日米安保条約も破棄し、日本は真の意味での米軍基地のない独立国となるべきであろう。
今問題の「憲法改正」だって、アメリカに押し付けられた憲法だから日本人の手で「改正」しようと首相をはじめ靖国派の人たちは口にするが、実際は、そのアメリカこそが改正を強く望み、九条を変えて、地球規模の軍事パートナーとして共に海外で戦争を共同で行えるよう、その要請に基づく策動であることに国民は気がつくべきである。
つまるところ政府自民党の考える「愛国心」とは、久間氏のように無自覚無批判にアメリカの言いなりになって、国家の命ずるまま戦争に赴く「兵士」を再び養成するためだけのものなのだ。まったく愛国心のかけらもない。