BOBBYとアル・ゴアの悲劇
恥ずかしい話だが、この映画を観るまで、アメリカ最後の希望の星と愛されたボビーこと、ロバート・ケネディについてはまったく何の関心も知識もなかった。
知っているのは、子供のときの当時の記憶だけで、兄ケネディのダラスでの暗殺の数年後、予備選挙のさなかに勝利宣言をしたLAのホテルの厨房でやはり同じく凶弾に倒れたということだった。たしかそのときの映像はわが国最初の衛星中継で流れたように思う。嘆き悲しむ米国民の姿を見て、子供心に何か大変なことが起きた、アメリカは怖い恐ろしい国だと思った。
彼の兄JFKとケネディ家、その一族については、後に様々な暴露本の類も沢山出ていて、それらによると実際は、兄も正義のヒーローでは全然なく、そもそもがベトナム介入を決定づけた当人であるし、金権まみれの守旧派だという認識でしかなかった。
しかし、この映画を見る限り、弟ボビーの方は、ベトナム戦争からの撤退を選挙公約に掲げていたのだから、かなりリベラルな思想の持ち主だったといえよう。歴史にもし、は禁物だが、彼があの日、あのホテルで凶弾に倒れなかったらば世界はどんな風に変わっていただろうか。
アメリカにとって、いや、ベトナム、世界中の平和を求める人々にとって悲劇だったのは、彼の不慮の死によってその年の大統領選挙はニクソンが当選し、結果ベトナム戦争は継続され、北爆などで戦火はより激しさを増し、さらに泥沼の様相を呈していったことだ。より多くの兵士とベトナム人民がさらに死に、戦争が本当に終結したのは1970年代も半ばとなってからだった。
ふと、2000年に行われたG・ブッシュ対アル・ゴアの大統領選挙を思い出す。あの選挙は大接戦の末、最後の最後までどちらが当選したのかわからず、結局、フロリダ州の約500票が裁判の結果、ブッシュ側のものとされ、現在二期目の現ブッシュ政権が誕生したわけだが、もし、ゴアが勝っていたらどうたったか。
今は環境保護活動家としてそのリベラルさを増す一方のゴア氏が大統領ならば、おそらく2001年の同時多発テロ事件も起きず、たとえ起こったとしてもまずイラクへの侵略戦争など始めなかっただろう。世界は今よりはるかに自由でありもう少し住みやすかったに違いない。
世界の歴史は時にたった一人、あるいは数百人の行為でいとも簡単にその姿を変えてしまう。だが、過去に歴史は戻せないならば、残された者は志半ばで去った人々の意思を継ぎ、理想が実現するように未来に向けて努力していくしかない。