事実は一つだが、真実はたくさんある
このところ拙ブログに対してコメントが同じ方からだと思うけれど続けてあった。
増坊のこのブログはもう何年も続いているわりには、コメントがほとんどなく、その傾向は日を追うごとに近頃ますます甚だしく、書き手は毎日更新し続けてもコメントのほうは、一ヶ月以上も一つもないことは珍しくない。内容とは何の関係もない訳のわからないトラックバックがちらほらある程度だから、たとえ異論反論、批判だとしても書いたことへの「反応」が届いたわけで率直に言って嬉しい。読んでくれたことの証であり、お手数かけて書いてくれたわけで有難く思う。最近ではもはや別に何の期待もしていないが、力入れて書いたことなのに、反応が何も無いのは一番つらいというのは未だ正直な気持ちなのだから。
さて、話は変わるが、歴史における真実と事実について思い出したことがある。
増坊は若い頃、かなりのプロレス者だったから、会場に足を運ぶのはもちろんのこと、毎週駅売りで、大阪のタブロイド紙「週刊ファイト」を欠かさず買って熱く読んでいた。70年代前半から80年代半ばにかけての頃だ。フロレス情報だけが載っている夕刊紙サイズの「新聞」なのだが、東の東スポ、西のファイトと並び称されるほど、かなり通好みのプロレス専門紙であった。
そこの編集長が井上義啓氏といい、プロレスという特異なジャンルのスポーツに対して、一風変わった独特の視点を持ち続けた人で、その語り口も含めて、十代の増坊は大きな影響を受けた。ものの考え方、見方をその人から教わったと思う。あのターザン山本はその弟子で、彼を見出し、編集部に入れたのだから、人となりが伺えよう。
その井上編集長の名言の一つに、「事実は一つだが、真実は沢山ある」というのがある。沢山だったか、無数にある、だったか定かではないが、事実と真実は違うということだ。子供の頃はこの意味がよく理解できなかった。だが、最近になって、そうか、このことを言っていたのかとようやく言葉の意味がわかってきた。
プロレス界は、力道山の頃からレスラー同士の裏切りや離合集散は常だから、さまざまな「事件」が数多く起きる。記者として、事件の当事者に、その真相を問いただしていくと、それぞれの言うことはことごとく異なる。誰かが意図して嘘をついているのではなく、その当事者にとってはそれが真実であり、嘘偽りではなくそう信じているのである。井上編集長はその体験から、先の名言を生んだわけだが、近年の歴史認識問題に関しても似たような感慨がある。
起こったこと、「事実」は一つしかないわけだが、当事者、研究者も含めて、日中双方多くの人々にはその数の分だけ「真実」があるように思える。戦時下の南京で何があったのか。日本軍が関与して何か事件が起きたのは事実であろう。だが、その犠牲者の数も確定せず、最近ではその事件そのものさえ、幻でありでっち上げだという「真実」を口にする人もいる。当方が考える真実とは180度異なり到底容認できない妄言だと考えるが、それを信じる人にとってはそれが真実なのだと思う。
それはそれでかまわない。だが、事実は厳然と存在する。あの戦争は世界史的に見るまでもなく間違いなく侵略戦争であり、日本は加害者であり、アジアの国と民衆は被害者であったという事実だ。それだけは絶対ゆるがせない事実であり真実であろう。
※ちなみに、その井上義啓氏は、昨年の12月病気のため亡くなられていたことを先ほどネットで検索して知った。かなりのお歳だと思えるが、感慨深く思う。心よりご冥福をお祈りする。
《この章はもう一回だけ続きますのでコメントはその後に頂けたら》