ミニコミ歴30年・中
かつて、ミニコミブームというものがあった。きちんと調べたわけではないが、自分の記憶としては60年代末から70年代の半ば頃までだろうか。そのブームは、深夜放送や学園紛争、フォークソングなどの流行とも密接にシンクロしている。
「ミニコミ」とは、確か、ミニ=小さい、コミ=コミュニケーションなどの意味の略語で、主として個人やその仲間たちグループが、自主制作して出していた小冊子、新聞などのことだ。当然発行部数も少ないし、長く続くこともめったにない。
今だって、都会には、フリーペーパーやタウン情報の類の無料の冊子類がコンビニや書店の店頭に並んでいるが、あれとは一寸違う。あれは広告主体の宣伝紙であり、中には「R25」誌のように読み物記事が多いものもあるが、ああしたものとは全く異なる。
そもそもミニコミとは、大手の出版社発行の従来の既製雑誌に飽き足らず若者たちが、自分たち手作りで、自ら書きたいこと、伝えたいこと、そして好きなことについて載せた自主制作の雑誌で、今日ならばインディーズと呼べるものだ。今、コミケなどで売られるマンガ同人誌にスタンスは一番近い。その形式としては、ガリ版刷りによるものから、コピー、軽オフセット印刷まで、内容もサイズも発行間隔も多種多様だった。共通しているのは、資金がないのでまず薄いことと、タダではなく、一応カンパも含めて売っていたことだ。※コピー機は現在のように一般的にまだ普及してなく、単価もかなり高かったのでコピー誌というのは、なかったように思う。
当時のミニコミを出していた若者たちは増坊も含めて、自分たちのミニコミが完成すると、友人や仲間を通して知人らに買ってもらい、時には行きつけの喫茶店、レコード屋、書店に置かせて貰った。そして後日、売れた代金を回収し、新しい号を置いて売れ残った分を持ち帰った。そうした若者が始めた手作りのミニコミ雑誌の中からは、後にメジャーとなる成功誌もやがて出てくる。椎名誠らの「本の雑誌」、渋谷陽一の「ロッキング・オン」などがそうだ。
増坊がそもそもモノを書き出した原点と言えるのは、高校時代に友人らと始めたミニコミからで、爾来気がつけば30余年の時が過ぎた。