放送作家として時代の寵児へ
年も押し詰まったがこのところ著名な方々の物故者が相次いでいる。岸田今日子さんに対する思いも増坊世代には強くあるのだが(ご存知のように、ムーミンと傷だらけの天使ですね)、他の誰かがブログなどで書くと思うので、一昨日報じられた青島について書く。
今の人は、「青島幸男」と聞いても前都知事だというぐらいの知名度しかないかもしれないが、昭和40年代に子どもで、テレビに齧り付いていた世代の者にとってはその名は懐かしくも光り輝いていた。正直なところ彼については書きにくい。愛憎半ばするような気持ちがある。タレントとして、シャボン玉ホリデーに出ていた頃の彼は大好きだし、作詞家としても植木等が唄いヒットした一連の曲に見るように素晴らしい実績がある。しかし、政治家としてみた場合、首を傾げざるえない。好悪の感情が交じり合い、一言で評価を下すのは極めて難しく思える。
かつてのこと、戦後、「放送作家の時代」があった。ラジオ時代の野坂昭如、五木寛之らを筆頭に、テレビ創生期には、前田武彦、井上ひさし、塚田茂、小林信彦、はかま満緒、そして景山民夫らと、ちょっと思い浮かぶだけでも放送界は、そうそうたる人材を生みだし、まさに放送作家が時代の寵児だった頃があった。中でも先陣を切り一番の出世頭が青島であり、確か、彼が言っていたことだったか、「テレビとは作るものでも見るものでもなく、出るもので、それが一番楽で金になる」との名言通りに、真っ先に裏方からタレントに転身し、役者もこなし、作詞もし、やがては本を書いては賞も取りとまさに八面六臂の大活躍であった。
タレントという言葉を辞書で引くと、才能もしくは、才能ある人の意、とあり、テレビなどの出演者を指すとある。その意味で、彼こそ、この言葉の語源となった人で、マルチタレントのハシリであり、大人は舌を巻き、子どもたちは彼に憧れた。
しかし、政治家として見た場合、その輝きはくすんでいく。