情報発信の場としての「店」
乱歩先生ならずとも、もし、店をやるからには、客を待つだけの単なる受け身の店では面白くない。そこから新たな情報や文化が発信できるようなユニークな個性溢れるヘンな店でなくては。実際の店舗などの、いつか将来の夢を語ってきたわけだが、ここらでまとめとして。
人は誰しも漠然とした夢を抱えて生きているのだろうか。考えてみると、増坊でも若い頃からある一つの夢があった。残念ながら古本屋になることではない。店――ちょっとしたライブもできる喫茶店のような――夜は軽食と酒も呑める――がやれたらとぼんやり考えていた。気に入った音楽のレコードをでっかいスピーカーで静かに流し、美味しいコーヒーと、手作りのケーキやカレー。そして毎週定例のライブの宵を設け、日本のフォークシンガーたちを招いて、観客と共に酒を酌み交わす。
もちろん、今も昔も資金はないし、誰かスポンサーが出てきて、そんな話があったとしても今はまだ出来ない。でも単なるモノを売る店ではなく、人と人が出会う場としての何かがそこから起こりそうな店。そんな喫茶店のようなライブハウスのような居酒屋のような店をやりたいと若いときからずっと夢想している。
思うにそれは、高校生の頃、入り浸っていた吉祥寺にあった伝説的な店「ぐゎらん堂」のイメージなのだと思う。あるいは、福生にあった「ぼろん亭」だろうか。若いときに通ったそうした店があったおかげでいろんな人と知り合い、金や学校では得られない多くのことを学んだ。音楽も生き方も、残念ながら本なんかより街で、そうした店で得たことのほうが大きい。まさに書を捨て街に出よである。
今でも国立の「ほんやら洞」や「かけこみ亭」など、ユニークな気のいい店主がいて好きな音楽と美味しい料理を出す店はあることはある。でも客として通うのではなく、自らが仕掛けて、その場所から新しい何かが始まるような店がいつかはできたらと見果てぬ夢として思う。まあ、夢は夢として、まずは一日も早く家を完成させて、そこで定期的に「倉庫公開販売」として客を招き、お茶やお菓子でも出せたらと考えている。それならば資金はかからないし自分のペースでやれるから楽ではないか。儲けなんかは度外視の話だけども。