本に埋もれて寝たのである
頭の中で、今日は一日、高田渡が「生活の柄」を歌い続けている。何故か、両脇には、アルフィーの坂崎さんと、なぎら健壱が渡をサポートしていて、サビの部分、「秋は~」「秋からは~」と二人一緒に神妙な顔してハモっている。リアルな夢のような気がする。どこかで観たのだろうか。告白すると‥‥
どうしてこの曲が頭にこびりついてしまったのかというと、昨日、このブログ読者の方からメールが届き、海賊版?の映像サイトを教えてもらい、ついうっかりネット上で、その「画像」を観てしまったからだ。著作権の関係上、公にはできないが、そのサイトではこうしたフォークミュージシャンたちの貴重な映像が音声入りで沢山アップしてあるようなので、善悪の判断はさておき、有り難い「情報」を頂いたことに感謝しつつ改めてネットの力を思い知った。
さて、その曲「生活の柄」だが、ご存知かと思うが、元々は沖縄出身の山之口貘の詩に、渡氏がカントリーの曲をつけたもので、侘びしい浮浪者の生活が、あたかも、ホーボーのように軽やかに、自由気ままなように唄われている名曲だと思う。中川五郎氏の謂いでもあるが、タカダワタルは、詩も曲も人の物を借りてきて、くっつけては「名曲」に仕立て上げる天才であった。
増坊自身は歌のように、草に埋もれて寝たことは記憶にないが、駅のホームや公園のベンチで寝たことは若い頃はままあった。そして今、草ではなく本に埋もれて寝ているのだが、これが自分の望んだ生活なのだろうか、とふと思うことがよくある。
このところ何だかんだ忙しいせいか、一日に一冊だって本が読めない。自由業のはずなのに全然自由がないような感じがいつもしている。朝起きてから夕方まで家の用事や本の発送、そしてパソコンに向かうと、あっと言う間に時間が経つ。夕食後、夜も更けてその日のブログを書いてから、ようやく布団の中で、眠る前に読みかけの本を数ページ読み進めるだけで一日は終わってしまう。本は枕元から、ベッドをぐるりと取り囲むように山積みなのに本は読めず読みたい本は溜まる一方なのだ。
と、今日は一日何故だかメマイがずっとしていて、鼻水が止まらないので、この続きはまた明日。