心境告白 長くなりますが今後のことについて
実はこの何日か自殺のことばかり考えていました。勿論、本当に計画立てて、それしかないとまで思い詰めていたわけではありません。今流行の中高年もする自殺、漠然と死ねたらいいなあと思ってました。
筆者増坊の人生が行き詰まってしまって、家の片付けも遅々として進まず、疲れとストレスからか、このところ何もかもうんざりしてし、すべてが「いやいやえん」となってしまい、このブログ書くのだってしんどかったのです。書くことがないわけではありません。書きたいことはそれこそ山ほどあっても一体何を書いたら良いのかもうわからなくなってました。
ブログという形態上、あまり長大な分量は書いてはならないと助言も受け、基本は、古本屋のブログとして、本や商売のこと中心に、と決めてはいたものの、家のことや何やらで商売もこのところ開店休業気味だし、そんなことよりも気の多い自分は書きたいこと、言いたいことが次々新たに出てくる。しかし、一度何かについて書くと、何回かはそれについて書かないわけにいかなくなって、しぶしぶそれについて書いているうちに置き去りにされた題材は古くなる。こうしたジレンマとが続くといったい何のために誰に向けて書いているのか?と書いても書いても楽しくなくなってもきました。
この何日か寝たきりになって、また心療内科に行くか、それとも自殺するか、どうせ死ぬなら抗議の自殺がいい、憲法改悪、教育基本法改悪、核論議に抗議して遺書ブログを残して死ぬのもいいかなあと考えもしましたが、無名な1ブロガーである末端古本屋が自殺したところで、何の話題にもなるわけでなし、元より、無責任に全てを投げ出しては今すぐ死ねない立場でもあるので、どうしたものか悶々として日々鬱屈していたのでした。
それでも今日飯田橋に映画を見に行って、帰りの電車で少なくともブログについては新たな方針が決まりました。おかしな話ですが、自分の書きたいこと、その日その日のことを書いていこうということです。実は、このブログを始めるときに自分に課したことがあります。毎日続けることもですが、基本は二つ、自分のことはできるだけ書かない、商売には利用しないということです。
自分のことばかり書いてるじやないか、と笑われるかもしれませんが、結果いつしかそうなってしまったというだけで、よくある無名の一個人の、今日は何して誰と会い何食べたというような日記ブログでは誰にも読んでもらえない。むろん、若い女子大生ブロガーとかならそれでも読み手もつくでしょうが、こんな初老のダメ中年男の日常など面白くもおかしくもない。だからそんなことではなく、独立した読み物として本や古本屋商売についてのブログを、と考えたのでした。
もう一つの商売に使わないというのは、金が絡むとどうしても自由な発言ができなくなるからです。増坊は基本的に反体制反権力で、この歳まで生きてきました。商売というのは、つまるところ資本主義体制の枠の中でやるものです。客相手に思想信条を出しては商人としては失格です。ゆえに、古本稼業とは離れて、自由勝手に発言したいがゆえに店の宣伝など、客を誘い込むようなことは一切しないと誓ったのでした。
でも今のような追い込まれた状況となると、商売との関連はともかく、自分のことを書かないというのは、あまりに不自由となりました。ブログというのはそもそもが日記とかいう意味だそうですが、だとしたら、もう一度ブログの初心に戻ってその日ごとの考えたこと、したこと、あったこと、読んだことなどについて書いていこうと考えました。脈絡のない支離滅裂なものとなるかもしれませんし、かなり長くなる日もあるはずですが、これは自分にとってのブログであり、自分がそれで救われるためにもそれしかないわけで、読む読まないは読み手の自由ですので、これからも誰が読んでくれるかわかりませんが、できればおつき合いください。そしてごくたまには、何かご意見、感想などコメント頂けると励まされます。
今日観た映画のことを書くつもりでしたが、あまりに分量が長いのでとりあえず明日の分に回します。というわけで方針転換して初心に戻ってその日のことを書いていきます。ご了承ください。