カッコイイことはカッコわるい
「時代」を感じさせる懐かしいものについて書いてきた。懐かしい、という心理は考えてみるとなかなか奥深いものがある。当たり前のことだが、体験、経験したことでないものには、人は懐旧の情は湧かないもののようだ。そして、完全な懐かしさ、懐かしいものは全面的に肯定してしまうものだから、そこまで古い過去ならともかく、時代を感じさせられる程度のオンリーイエスタデイの出来事や風俗は、それが当時はブームだったり、先端としてカッコイイものであったものこそ、今見直すとダサくカッコ悪いように思える。※断っておくが、それは「本質」ではなく、そう感覚的に見えるということだ。ちなみに昔の岡林の唄は、正直なところ今聞くと時代を感じさせられるものが多いが、それ以上に時代を越えた名曲、佳曲だと思う。
逆にカッコ悪く、ダサかったものが今は良い、素晴らしいもののように見直されているのが昨今の昭和30年代ブームだろう。40年~半世紀近く前のこととなると、貧乏さえも何かカッコ良く、素晴らしいように全面的に美化されて見えるようだ。逆に20年~30年ぐらい前の、つい昨日のことは、ダサくカッコ悪い部分が何故かやたら目につく。
その理由として、自分も含め、その頃を知る者が未だバリバリの現役だからかもしれない。つい今の目で批判的にあの頃を見てしまうからだ。ある時代が、懐かしく素晴らしい「思い出」となるためには、思い出す側が「引退」しない限り、「時代」は良き「思い出」に簡単になれないのだろう。