今の長髪 昔の長髪
男の長髪、今昔について書いている。考えてみると今だって長髪の男はたまにいる。タレントで言えば、木村拓哉や浅野忠信などかなり長い部類ではないか。しかし、今の長髪と昔のそれは確実に違う。今のは、きちんと美容室でカットしてそれなりの手入れに余念がない。だから女性のそれと同じように綺麗でスタイリッシュである。だからうざったくない。一方、昔我々がしていた長髪とは、ただ自然に伸びるに任せて、伸びたら時々友人や恋人、あるいは自らがテキトーに切って整えるという、甚だワイルドかつアバウトなもので、結果、何となく汚らしく、オシャレとは言い難い人が多かった。だが、当時は男で美容院などへ行く者は皆無だったのではなかろうか。
そして何故長髪にしていたのか、と今考えてみると、ビートルズたち最先端アーチストも長髪だったし、周りの他の若者たちも皆髪が長かった。だからそれが当たり前であり、それが流行として、誰もがしていたから自分も自然にそうしてしまったのだと思う。そこには、何の必然も信念もなく、疑問にさえ思わなかった。それが今恥ずかしいし、当時のファッション、自らも含めて情けないほどカッコわるい。もし、本当に長髪が好きで、カッコイイと思っていたなら、途中でやめずに、今もそのまま伸ばし続けていれば良かったのだ。そうすれば単に流行に乗っかった浮かれ者ではなく自己のスタイルとして確立できた。
同世代の人で今もあの頃と同じく長髪を貫き通している人もいる。例えば、みうらじゅん氏や喜国雅彦氏である。マンガ家だから許されるとか、そういう次元の話ではなく、若いときから四半世紀以上も長髪を切らずに生きてきたという根性に心から敬服する。それは、もはやファッションではなく、完成されたマイスタイルなのだ。自分のような一時の長髪を今になって恥じるような「転びバテレン」、転向者は、彼らには生涯頭が上がらないのである。その意味で田村正和もエライと思う。あの歳であんな長い髪型、しかもそれを若いときから一切変えないのは彼だけではないだろうか。