男も長髪が当たり前だった時代
♪僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら~ とは、ご存知吉田拓郎の70年代を代表するフォークソングの名曲『結婚しようよ』の冒頭だが、今の人はこの歌詞を聴いて奇異に思うのではないだろうか。現代では、こんな恋人同士はまずありえない。その意味で時代を感じさせる歌と言えよう。しかし、約30年ぐらい前は、男も長髪が当たり前で、ほとんどの若者はむさ苦しく伸びた髪をなびかせてパンタロン(ラッパズボン)の裾を引きづって街を歩いていたのだ。
70年代の映画を観て一番時代を感じるのは、出てくる男性主人公が誰もが長髪でうざったいからだ。だが、それは映画の中だけではない。今40代から50代の男性はたいがいかつて若い頃は長髪にしていた過去をもっているはずだ。
実は増坊もその頃は肩まで届く長髪で、しかも天然パーマだったから若き日の井上陽水やマーク・ボラン並みに爆発したようなもの凄い頭だった。当時の写真を見ると、我がことながら気恥ずかしく、何でこんな髪型をしていたのかと訝ってしまう。それがカッコイイと思っていたのか。誰もがそうした恥ずかしい過去を持っているのかもしれないが、自分にとってこの長髪時代がなぜか一番恥ずかしい。
自分の場合、長髪時代は、70年代半ば、高校入学の頃から始まって、大学を出るまで、80年代前半ぐらいまで続いていたと記憶する。歌の文句ではないけれど「就職が決まって、髪を切った~」かどうか忘れたが、やはり社会に出てしまうとあまり長髪だと顰蹙をかうので、以降二度とそんな長く伸ばしたことはないしする気もない。このところ年々温暖化が進み、夏は異常に暑くなっているから、短髪の方がよっぽど気持ちよいしサッパリしてカッコイイというのが今の偽わざる気持ちだ。
今でも同世代で長髪の人もいることはいる。若いときからの?ポリシーを貫いているのだろうからエライとは思うが、初老のオッサンで白髪交じりの、毛の量も少なくなった長髪ほど情けなく汚らしいものはないように感じてしまうのは、かつての自分をそこに見る近親憎悪的感情があるからだろうか。