市場のあるものと、まず市場のないものと
商売のあり方についてだらだら考えてきた。たくさんの購買層がいる、売れ線のものを多売することが最も儲かることだが、そのためには、資本がいる。会社の規模もでかくないとならない。翻って我が身と我が商売を考えてみると、どうあがいてもそもそも不可能なことであるのに気がつく。
古本は基本が一点ものだし、売れるからといってゾッキ本でもないかぎり大量には仕入れられない。まして、ネット古書店の端くれ、人を雇うどころか、自分一人だってこれだけではとても喰っていけないのが実際で、だとしたらどんな商売ができるのか。
今回、神戸一郎や二村定一のCDを探し求める中で、何かヒントが見えてきたような気がした。市場に多くあるものを扱ったとしてもどうあがいても大手の店にかなうわけがない。だとしたら、大手が扱わないもの、大手にないもの、つまり、市場にほとんど出回らないものを扱えばいいのではないかということだ。商品を、大手がより広く浅く売れ線のを扱うなら、逆にそこから漏れたものをより狭くより深く探っていけば商売になるかもしれないと考えた。音楽でいえば、二村や神戸一郎のようなものを専門的に扱っていくことだ。それらは数は出ないかもしれない。仕入れてもなかなかすぐには売れないだろう。しかし、自分も含めて、この世にはそれらを探し求めている人がいるから、現在品切れでどこにもないわけで、それはまた確実に売れるという証でもあるのだ。
実際、知る限りでも、演歌や懐メロに詳しく、品揃えを充実させた、そうした邦楽の専門店化した店は、辺鄙な場所にあっても口コミで噂が広がりかなり成功している。例えば、青梅のマイナー堂とか、店名は失念したが上野のガード下にもあった。探しているレコードはあそこに行けばきっとあるに違いないと客から信頼されればしめたものだろう。マイナー堂の店主とは増坊は高校生の頃から懇意にしていた人だが、気がついたらいつしか、ディープな演歌の専門店と化していて今や青梅名物だそうで驚きつつ感心した。あんな田舎町では若者向けJポップから様々なジャンルを少しづつ置いても店の広さから考えても大手のCDチェーンに太刀打ちできるはずがない。だとしたら、商品の種類を絞り専門性を高め、大手が扱わない商品を扱うというのは卓見ではないか。
今の世は、インターネットの時代で、情報から音楽まで何でもパソコンからダウンロードできるわけだが、ダウンロードできない音楽や、情報も実はまだまだある。自らができる商売を考えると、簡単なことではないがその部分を追求していくしかないように思えてきた。