アメリカがすべてだった時代
こうして何回か米軍ハウスのことを私的感傷を交え書いているのだが、今の人たちにとって、アメリカという国は今も憧れの国なのかとふと考えた。
畳の部屋などないマンションに生まれ、トイレから食卓までずっと椅子の暮らしをしている。ディズニーランドへは家族ぐるみで子供の時から行っているだろうし、海外へもハワイどころかヨーロッパまで足を伸ばしている。そんな人たちに、なぜこんな小さく不便なハウスに若者が集い、そこでの米国式の生活に憧れたのか、そもそも生い立ちからして違うのだから理解できない方が当然かと思い至った。
ある世代の人々、増坊も含めて今中年以上の世代は、マンガ「三丁目の夕日」ほどではないが、貧しく質素な子供時代を過ごしている。それは貧乏というのとは少し違う。この日本という国自体が戦争に負けて、住まいから衣類、食べ物も含めすべてを失い、ほとんどゼロからの再出発だったからだ。だが、昭和も東京オリンピックの頃、つまり1960年代となると、人々の暮らし全般が持ち直し、冷蔵庫や洗濯機、テレビ、自家用車、電話なども各家庭に少しづつ普及し始めた。
そして、その白黒テレビで放送されていたのが、主にアメリカ製の日本語吹き替えドラマだったのだ。一昨日頂いたコメントにも書かれていたが、ブラウン管の中から日本人が垣間見た、アメリカ人の生活はまさに夢のライフスタイルだった。その他「奥様は魔女」でもいい、「ルーシーショー」でもいい、でかいソファーのある広いリビングと便利な電化製品の数々、犬も室内に上がることの許される明るくフランクな家族関係、子供心に素敵だと思えたし、おそらく当時の日本人全ての憧れだっただろう。蛇足だが、そんなテレビを観て祖母がこぼした言葉を思い出した。「こんな豊かな何でもある国と戦争したって勝てるわけがない」と。
だから、誰もがアメリカに憧れた。だがそのアメリカは、他国を侵略するベトナム戦争を続けており、反安保の雰囲気も強く、若者は公然とアメリカが好きだとはなかなか口に出来なかった。特に基地の町ではことさら反戦、反米であり、「ヤンキーゴーホーム!」がスローガンだったのだから。米軍ハウスというのは、そうした愛憎半ばする複雑な心情の象徴でもあった。