旅は終わり、そして日々の暮らしが始まる
町は変わり、そしてそこに住む人も変わる。東京に住んでいると、あまりに町の移り変わりが早すぎて、そこに前は何があったのか、人の記憶も「上書き更新」されてしまって、思い出せないほどだ。それが東京の活力であり、常にアップ・トゥ・デートが東京の特性なのかもしれないが、増坊にはもはやそれについていけないし、関心さえもない。昔好きだった秋葉原でさえも、あんなに変わってしまうと、外国の都市としか思えないし、しかもそこには何の魅力も感じられないのだから、わざわざもう足を運ぶこともないだろう。
今回の関西旅行で、京都と大阪という異なる都会を少しだが歩き回って、人の住む「町」というものは、どういうものなのか、そのあり方について、課題も含めて大いに考えさせられた。結局今日の東京の都心部は、奇抜でまばゆいテナントビルが建ち並ぶ、ほとんどどこもオシャレで金のある人たちのショッピングのための町と化してしまい、そこでは、もはや人は住んでいないのだ。自分にとっての関心ある町とは、高級ブランド品店や有名ブティック、有名レストランが並ぶ大通りではなく、八百屋や肉屋、中小のスーパー、安い食堂や総菜屋があり、婆さんが、カートを押して立ち話しているようなごみごみした路地であり、それこそが生活だと思うし、人が生きていくことに他ならず、そんな中から唄が生まれてくるのだと考えるからだ。東京にもかつては、秋刀魚の煙が外にまで流れる大衆食堂があちこちにあり、そんな店で「サンマ焼けたか」と粋なオヤジの声を聞きながら瓶ビールを呑むのが最高の楽しみであり、個人的贅沢だった。でも、そんな店が並んでいた庶民の町はどんどん再開発の名の下に消えていく。
京都と大阪の地図で言うと下の方。今回訪れた二つの町は、昔ながらの生活が息づく、生きている人たちの町だった。東京に育ち都心部に今も住む人には申し訳ないが、今東京に戻り思うことは、つくづく東京は空虚な、無味乾燥とした大都会になってしまったということだ。この町に住む人はもはや生きていないし、そこには歌う唄もない。もしそこに唄があるならば「築地のうた」でも聞かせて欲しい。