関西人の不思議な金銭感覚・後
何度もこのブログで繰り返し書いてきたことだが、心の価値基準と財産の有無、金の多寡は本来何の関係もない。どれほどの金持ち、セレブであろうと、自分は不幸だと思う人もいるし、増坊のように、世間的には負け組と見られようとも、自由気ままにささやかな幸せを満喫している者もある。このところ、関西人の金銭感覚について書いているのだが、東京もんの自分にはいくら考えてもやはり理解しかねる部分も多い。
彼らは、金にシビアだと書いた。でもそのわりには、京都人はともかく、大阪の、特に地図で言うとミナミから下の方に住む人たちは、意外とずぼらで大ざっぱというか、ユルイ人も多い。彼らの金に対する執着は、東京の、セレブに憧れ、勝ち組を目指そうとする拝金主義者たちとは根本的に違っているような気がする。
彼らは何かにつけて、まず損得勘定でモノゴトを考えてしまうことが多いようだ。金は一日でも長く手元に置いといたら得、とか、今朝は1本早い電車に乗れたから得した、とかよく言う。考えると果たしてそれが得なのか首を捻らざるえないこともままあるのだが、彼らはまず身近な損得になぜか拘る。モノにしたい女の子を口説く文句だって、「ええやんか、減るもんやなし」などと暴言を吐いて逆に怒らせた者もいた。
金の支払いの件に話を戻せば、ある取引の支払いの期限が過ぎてもそのままにして、向こうから催促されて、そこでようやく払うという猛者もままいるわけで、責めても向こうは、頭を下げて「えらいすんまへん、うっかりしてもうた。堪忍してください」と言われればそれ以上怒れないわけで、踏み倒す気はなくてもこんなしたたかな相手だからこちらもそれなりの覚悟しないといけないのだ。
今回関西に行ったついでに、西宮に住む、代金未払いの男のところに大阪から電話をかけた。すでに、商品を送ってから1ヵ月も過ぎて、何回かメールで催促したのに何の返信もない。本は昔のアイドル写真集で、代金は総額3000円ほどなのだが、踏み倒されるのは辛い。幸い運良く当人が電話に出て、連休中だったので、明けたら振り込むよう伝えたが、それでもなんか心配だった。で、コンサート会場で開演を待つ間に、ハガキに、今大阪に来ていてしばらく滞在すること、連休後の一週間以内に振り込まれなかった場合、西宮のお宅まで訪問して取り立てる、と書いて送った。
この「脅し」が功をそうしたのか、東京に戻ったらほどなく、振り込みの通知が届いてほっとした。でも、今回、大阪に行かなかったら、果たして彼はすんなり代金を払ったか今も怪しく思っている。関西人がすべてこうした人だと思わないし、本好きに悪い人はいないはずで、きっと忙しくてうっかりしていたのだと思うが、それでも関西圏から注文が自店に届くと、すぐにすんなりと代金が振り込まれるかいつも考えてしまう。気の小さい増坊にとって、こうしたテマヒマが、面倒かつ憂鬱で、そんなこともあってこの商売、イヤになっていたのだ。