これからの予定など・まず深夜放送の話
巷では今、昭和30年代がブームなのだそうだが、その30年代に生まれた者としては、何の郷愁も憧れも感じない。それはまだあまりに子供だったからだし、かろうじて残る記憶も貧乏くさい思い出ばかりでそんなに良い時代であったとは思えない。
このブームの“正体”については近いうちきちんと書こうと思っているのだが(特にわざわざ作られたレトロなるもの=JR青梅駅の立ち食いソバ屋のようなもの――には怒りに近いような気持ちさえ感じる)、それはともかく自分にとって一番懐かしく思い浮かぶのは、昭和45年、つまり西暦で言うと1970年代からのことで、何故なら増坊にとっての70年代とは、中学生から高校生、そして大学生へと十代がほぼそっくりこの年代にあてはまるからだ。
その美しき十代、最も多感な、子供から大人への階段を上り始めた頃、一番最初に出会ったのが、当時の若者たちに一大ブームが起きていたラジオの深夜放送であり、さすがにゲルマニウムラジオの時代ではなくて、中学入学?を機に、親にねだって買って貰った携帯用高性能ラジオで、布団の中で毎晩そっと音を絞って人気DJのおしゃべりや、日本のフォークに耳を傾けていた。
そのラジオは、確かナショナル製で、今思うと四角くかなり大きく重く、ステレオでないものの、短波も含めて何パンドも受信できる優れもので、黒いプラスチック製のハードケースに包まれていて、側面にはネジ巻き式のタイマーが付いていた。当時の男の子にとって、このラジオか、二十段ギアのスポーツ自転車は憧れの的だった。一番かっこいいのは、その自転車で、このラジオを肩から提げて走ることだった。話がそれた。深夜放送を聴きながらDJの語りを子守唄にいつしか眠ってしまい、翌日学校で、眠たい目をこすりつつ友人と、昨日の放送聴いた?と話すのが楽しみだった。
そうした深夜のラジオを通して知ったのが、当時デビューしたRC・サクセションであり、曲もヒットしたあがた森魚であり、広島から上京してきた吉田拓郎であり、女の子に人気があったチューリップであり、かぐや姫であり、彼らを通して仲間のフォークシンガー、高田渡や岡林信康、高石友也、加川良、友部正人たちを知るようになり、さらには彼らが強く影響を受けた外国のシンガー、ボブ・ディランや、ウッディ・ガースリー、ピート・シガー、PPM、ジョーン・バエズたちも聴くようになった。そして気がつけば自分も質屋で買った中古の安物フォークギターを手にして、新譜ジャーナルやガッツ等の音楽雑誌のコードブックをめくり、見よう見まねで音楽を始めていたのだ。《この話、続きます》