お客様から届く、本に対する熱い想い――クトゥルフの呼び声その後
このところ季節の変わり目で寒暖の差が大きいせいか、風邪ひいて、昨日3/21日分は、熱のせいか、ついついコーフンして書いてしまい今ちょっと反省している。
さて、本の話に戻りたい。売った本の、お客様からの反応についての話。
商売とはつまるところ、需要と供給の一致、結婚のようなものに過ぎない。つまり客という相手が求めるもの、カタチのないサービスも含めてそれが提供できれば商談が成立し金が動くわけだ。古本もそれは同じことなんだが、他の商売と異なる点は、本というものは過去から今に至るまでともかくやたら個別の点数が多く、しかも古本だから状態もそれぞれ異なり、まず同じ商品はなく、常に一点ものを扱っているということである。そして、どういう本なら売れるかということなのだが、アマゾンなどではある程度何が売れるかはつかめてきた。確実に言えることは、話題の新刊で、程度の良い綺麗な本、ということだ。そんなことは当然すぎるぐらい当然だから置いとくとして、実は今でも何が売れるか正直なところほとんど見当がつかない。
買って頂いたお客には失礼だが、どうしてこんな本が…一体何のために…という本もある。すごく古いOSの説明書やマイコン解説書などもその類に入るだろうし、ここでは書けないが、冗談で出品したのにすぐ売れた本もある。実際何が売れるかわからない。確かにどのような本であろうとも本は必ずある程度読み手を想定して出されているわけで、本の種類の数より人の数は多いのだからどんな本でも売れておかしいわけはない。ただ、売る側、古本屋としての興味は、そこにあって、どんな本でも何故にその本をお買いになったか、直接お尋ねしたいと常々思う。しかし、それは余計なお世話で、お金と交換にその本は客の元に行くだけで、商談は終わってしまうのが普通である。特に、アマゾンを通しての販売は、間にアマゾンが入るので、客へは本を送るのみで代金はアマゾンからまとめて支払われるので一切の客とのふれあいも接触もない。代金の取りっぱぐれはないので、かなりのマージンを取られようとそれはそれで利点もあるのだが、たまにつくづく虚しくなるときもある。機械的なルーティンワークにうんざりしてしまうのだ。でもごくごく希に、アマゾンからでも売った本に関してお客様から、本到着のお礼と共に、その本を求められた由来が記されていることもある。今回許可を得て以下に転載させて頂くのは、先に載せた『クトゥルフ~』をお求めになった方から当方に届いたメールの抜粋だ。
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私事ですが、本書が出版された当時私は中学生でした。
ちょうど小説などに興味を持ち、何の因果かクトゥルーを読んでしまったと同時に折からTRPGというものにも興味を持っていた私には、本書は非常に魅力的に写りました。
しかしながら3800円という金額は、今にしてみれば十分払える価格でも当時の私には一大決心の必要な非常に高価な買い物だったのです(笑)
そして、購入を躊躇している間に本書は書店から姿を消し、いつしか私の後悔
の念も薄れていきました。
しかし先日クトゥルー関係の本を目にする機会から本書への想いが蘇り、探していたところ貴店にお目にかかったという次第です。
梱包を解いた時に当時眺めるだけしかできなかった「あの本」が顔を出し、喜びで顔がほころぶのが自分でも分かりました。ありがとうございました。
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古本屋冥利に尽きるとはこのことで、この商売をやっていて本当に良かったと思うのはこうして、本に対するその人の想いがウチにも届いたときである。商売として儲け以前に、人は人のために、何か役に立てればそれだけでも幸せな気分になれるのだ。人生の意味とはそこにあるのではないだろうか。