久々に見た文学的光景
そもそも自分が傷つきたくないがゆえに、他者を傷つけたくないと相手と距離をとる人間関係がやさしさだと勘違いしている生ぬるい昨今の文学の世界に、久しぶりにギラリと真剣を抜く男を見た。しかもそれがあの村上春樹だったのでまた驚いた。村上春樹vs安原顕、現代文学のトップランナーが、スーパー編集者兼毒舌批評家として知られた故人を斬った。
“死者に鞭打つ”という言葉があり、この国ではそれは非道なことだとされてきた。何故なら死んだ者は何を言われても反論も言い訳も抗議もできないわけで、一方的でフェアでないからだ。
だから常識という慣例として、日本の場合、たとえどんなに悪い嫌われていた人であろうとも死んでしまえばみんな良い人であり、あえて故人の悪行をあげつらうことはせず、たいてい美点や長所のみ語り、死者に鞭打つようなことはふれないし書かないのが当然だろうにと、そう、今回は今話題の、村上春樹が書いたヤスケン評について書く。
今書店に並んでいる文藝春秋4月号に、村上春樹が、「ある編集者の生と死――安原顕氏のこと “生原稿流出事件”」と題して個人的にも昔から親しかったヤスケン氏との思い出を振り返り現在の彼に対する気持ちを綴っている。死後何年も経った今頃になってどうしてこの手記を書かざる得なかったのかは文春を読んで頂くとして、村上春樹もヤスケンも増坊は深く関心ある物書きだったので、早速それを読んで、未だ愛憎半ばしながらも包み隠さず明かされた二人の経緯と事実関係に驚かされた。
その感想は、一言で言うと、まさに死者に鞭打つとはこのことだと思い、ここまで書くのか!と村上春樹という作家の怖さを知った。さらに、鞭打たれる側にもそのわけがあると――もし、書かれたことがすべて事実であるならば――やはりヤスケンとはこういう男だったのだと暗澹たる気持ちになった。《続く》