佐々木守と久世光彦氏を心より追悼する
ここのところ、高度成長期の昭和に一時代を築いた人々の死が相次いでいる。以下の文は、ウチで顧客や仲間内の古本屋に向けて出している月一のメルマガ『富士見堂通信』に、同人の映画ライター、三留まゆみが寄せた“追悼記”で、増坊も基本的にまったく同感であり、自ら書くより数倍心中を代弁してくれているので、本人の同意を得てここに転載させてもらうことにした。
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脚本家の佐々木守が亡くなり、元TBSプロデューサーの久世光彦が亡くなり、おとといの新聞には『小さな恋のメロディー』のジャック・ワイルドの訃報が。ワイルド、56歳。あたりまえだけど、写真は見事なおじさんぶりでした。あの『メロディー』のワイルドくんが……と絶句しましたが、かつての子供たちももうそんな年なんですね(56歳はたしかに早すぎるけど)。
佐々木守の死亡記事はあっさりしたものでした。書き手が知らないのか、もう過去の人としてとらえているのか、その数日後の久世光彦に比べると大きな違いでした。私の中ではこの二人は同格です。っていうか、佐々木守の方が大きいくらい。彼は私が最初に名前を覚えた脚本家でもありました。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「柔道一直線」それから「刑事くん」。
「世の中には脚本というものを書くがいて、その人がお話の面白さを決めるんだな」と子供ながら漠然と考えたものです。そして、面白いお話にはいつも「佐々木守」の名前がありました。佐々木守の名前は子供番組だけじゃなく、親の目を盗んで見た大人の時間帯のドラマにもありました。中山千夏主演の「お荷物小荷物」。ヒロインの名前は今でもいえます。田乃中菊。沖縄出身。その続編ではオキクルミピリカというアイヌの女の子。コメディの中にも毒を含んだ物語であることは子供にもわかりました。
「刑事くん」も大好きなドラマでした。今でもテーマ曲「コンクリート・ジャングル」をフルコーラス歌えるくらい。桜木健一(「柔道一直線」)が新米刑事で、その同僚が仲雅美。“刑事くん”のお父さんは殉職刑事で、風見章子演じるお母さんが美容院をやりながら女手一つで育てて、所轄の城南署では課長の名古屋章がオヤジ代わり。
「母さん、刑事になったよ!」ではじまる物語に毎回ときめいたものです。その中でも忘れられないのが「戦争を知らない子供たち」篇。どういう話だったかはほとんど覚えていないのだけど、いきなり桜木や仲雅美たちがこぶしを振りながら「戦争を知らない子供たち」を歌って歩き出すシーンがあって、深い印象を残したのでした。あれ、絶対に佐々木守の脚本だったと思う。
久世光彦の番組を知るのはもうちょっとあとで、それなりにものごころもついたころだったと思います。「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」、それから「貫太郎一家2」……。「貫太郎一家」では長女の梶芽衣子が貫太郎の昔の不注意で足を引きずってたり(幼いころ墓石の下敷きになった)、「貫太郎一家2」では谷隼人扮する長男に婦女暴行未遂の前科があったり、ドタバタの中にも闇を抱えた向田邦子らしいホームドラマでした。
でも「貫太郎」よりも好きだったのが、沢田研二が三億円事件の犯人を演じた「悪魔のようなあいつ」。これは配役・音楽(井上尭之バンド)も含めて今も私の中のベストです。原作は阿久悠(コミックは上村一夫)、脚本は長谷川和彦。このドラマが、やがて長谷川和彦監督・脚本、沢田研二主演『太陽を盗んだ男』に育っていくわけです(音楽=井上尭之)。
久世さんとは何度か会ったことがありました。といっても某出版社のアルバイトの身、あちらは記憶にも残らなかったでしょうが。不良ぶった中年のおじさんという印象でした。話も大好きだというプロ野球のことだったり、東洋英和に通っているという娘のことだったり、この人のどこからあんなドラマが生まれるんだろうと不思議に思いました。
でもあるとき麻雀の話になって、「でね、みんなで杯をかき回してたら、俺以外全員、小指がないの。あのときはヤバイって思った」と、ぽつり。
サラリーマン家庭で育った向田邦子が下町の生活を思い入れいっぱいに「貫太郎一家」で描いたように、山の手育ちのこの人もまた「不良」や「下町の家族」を自分の物語として再構築させようとしたのでした。
3月3日の毎日新聞に小林亜星がこんな言葉をよせていました。「頭が良くて不良っぽい本当の『東京っ子』が亡くなって残念だ」。
久世光彦こそは不良になりたくてなれなかった永遠の東京の山の手っ子だったかもしれません。
そして、佐々木守こそは永遠の反逆児だったように思います。
昭和のTVには包容力とういか、なんでも受け入れる猥雑な寛容性みたいなものがありました。あのころのTVの人たちはきっとTVの力を信じていたのでしょう。かつて映画の世界がそうだったように。
私たち子供はそんなTVとともに育ちました。
降る雪や、明治は遠くになりにけり
と詠んだのは誰だったか。
くる春や、昭和は遠くになりにけり。
おそまつ。
――――――富士見堂通信第39号/3月7日発行より転載。