【パリ時間12月1日23:20分すぎ~12月2日】
モスクワ発の飛行機がパリに着いて、降りてもよいというアナウンスがロシア語とフランス語で流れたとたん、増坊は座席の下に入れておいた手荷物のスーツケースを抱えて真っ先に入国審査のところへ走った。早く空港から出ないと市内に出る電車がなくなってしまう。
この空港は初めての利用だったが幸いすぐにそのゲートはわかった。パスポートと航空会社のクーポンチケットを腰のポシェットから取りだし審査官に渡した。審査官はやや赤みがかったブロンドのネーチャンだった。
増坊の日本国パスポートは、3年ほど前の夏、思い立って作ったのだが、、髪の毛も坊主頭に近く短くし、ヒゲも鼻の下にあった。その頃は屈託を抱え鬱々としていたのでそのせいか目つきも人相も悪く、一見、イスラム過激派、アルカイダの容疑者のように写っている。審査官のネーチャンは、何度もパスポートの写真と目の前の当人を見比べている。仕方なくせいいっぱい笑い顔を作って愛想ふりまいた。そしたら「せ・ボン」と彼女は呟き、審査は終わり、すぐさま市内へ連絡しているRERという高速鉄道の駅へ行くバスの乗り場を探した。もう11時半である。
この空港も成田空港と同じく、第一と第二に別れており、その間を無料のバスが巡回していて、RERの駅はその途中にあるのだ。空港ビルの外には次々とバスは来るものの、どれがその連絡バスかわからず気は焦るばかりだ。誰かを迎えに来ていたフランス人の青年に訊いたら、表示板を調べてくれここで待てばそのバスが来る、とバス乗り場まで連れて行ってくれた。こういうところはフランス人はとても親切なのである。待つことしばし、バスが来て、それに乗って、駅に着いた。閑散としてほとんど誰もいない。市内に出る切符を買うのに紙幣が自動販売機では使えず、ややパニッくったが、幸い開いている有人窓口が一つだけあり、そこで買えて、ようやくホームに降りた。時刻は12時近かったが幸いまだ電車はあり、パリ市内のメトロの乗換駅である北駅まで行けることもわかった。
そして、北駅に出、メトロもまだ動いていて、たぶん終電だったかもしれないが、無事にホテルのあるラマルクという名のメトロ駅に降り立ち、地図を頼りにホテルに着いた。時刻は深夜1時過ぎていたと思う。ベッドしかない狭い部屋だったが、体を投げ出し、トラブルにも会わず無事に着けて良かった!と思ったとたん意識を失った。日本時間だと時差8時間あるから朝の9時過ぎのはずで、出発の前の晩も支度やらでほとんど寝ていなかったから睡眠不足と緊張と疲れで頭がずっと鈍く痛かった。しかしついに憧れの、もう二度と来ることはできないと諦めていたパリに着いたのである。
【パリ時間12月2日金曜日】
コーフンしていたせいか、朝6時頃から起きてしまい、外はまだ夜で真っ暗。で、投げ出した荷物を調べてみたら、腰に付けていたポシェットの中にどこを探しても航空会社のクーポンがないことに気がつき青くなる。パスポートはあるのに、帰りのチケットのそれがないのだ。愕然とした。記憶をたぐってみると、入国審査のときあの金髪ネーチャンに渡して返してもらった記憶がない。彼女はパスポートしか渡してくれなかった。さてどうする。帰りのチケットがなければ日本には帰れない。このままフランス人になるしかないのだろうか。