何故にフランスであるか・いよいよ出発
さて、いよいよ出発まで時刻が迫ってきている。荷造りの合間にブログを書いている。
フランスの魅力とは、つまるところ自由と個人主義ということにつきるわけなのだが、それは、結局「セ・ラヴィ」であり、「ケ・セラ・セラ」ということで、何のことだかわからない人には、わからないままだろうが、時間もないのでお許し願いたい。
考えてみれば初めて行った外国がフランスであったために、その地で受けたカルチャーショックが今も増坊を大きく左右しているのだとすれば、もっと別な国、例えばドイツやイギリスであったならば、今自分はどんな人間になっていたかと思う。ドイツであれば、もっと勤勉で自分に厳しい働き者になっていたかもしれないし、英国ならば、やはり簡素で格式ある保守的といえるほど規則正しい生活を送っていたかもしれない。しかし、それは言ってもせんないことだ。
断腸亭主人・永井荷風というと、生涯を自由気ままに、孤独を愛し家族も持たず放蕩のままに生きて、戦後もだいぶたって陋巷で一人窮死しているのを死後発見され、しかもその枕元には今日の金額で数千万もの全財産が残されていたという特異な生涯を送った文豪であるが、奇人、吝嗇家、希代のエゴイストと評されようとも増坊にはそこに、彼もまたフランス的人生を貫き通した同胞を見る。
彼の最も初期の名作『ふらんす物語』を読めばわかるように、最初に訪れた外国は米国だったものの、彼が愛し憧れ、若き彼に最も大きな影響を与えたのはやはりフランスという国だった。そしてその地で得た、自由を何よりも愛するフランス的個人主義という生き方を生涯貫き通した人生だったと思える。森鴎外は、ドイツ人的勤勉人生を、漱石は嫌ってはいたくせに、英国的趣味人生を送ったとすれば、文士に限らず人は初めて訪れ長く滞在した洋行の地で、一生の生き方を規定されてしまうのも仕方ないのかもしれない。