若くして亡くなられた方の本
早世した芸能人を例にあげてきたが、例えば市井の無名な人でも、若くして死に至る病に侵され、その闘病記録が本として出版されればベストセラーになる。
古くは、昭和39年度のベストセラー本、120万部を一年で売り上げた『愛と死をみつめて――ある純愛の記録/大島みち子・河野実著』があるし、最近でも文庫化、ドラマ化され話題になってベストセラー真っ最中の『1リットルの涙/木藤亜也著』がある。前者は、難病のため早世したミコこと大島みち子さんと文通相手のマコこと河野実氏との往復書簡を纏めたものだが、“純愛ブーム”の昨今、復刊され時を超え再び話題になったし、後者については説明は不要だろう。
本には確かに追悼本と呼ぶべき、残された遺族が有名人である当人の死後、生前の思い出から闘病、そして死に至るまで哀切に綴る手記はあるのだが、それとは別に闘病記ものというジャンルもあると考えた。むろん、親や妻、家族が記すものも多いが、やはり一番話題となり、涙なくして読めないのは、死んでいった当人が遺したものに違いない。中でもベストセラーとなるのは、若くして亡くなられた人の、自ら綴った記録なのは当然のことだ。
しかし、どうしてこの種の本なら本が人々から支持され読まれるのだろうか。特に若くして死んだ人に何故に関心が集まるのだろうか。
考えるに、まず一番に、今の世の中では死は遠いものでしかないことだ。幽明境ない年寄りならば身近なものだろうが、若者にとっては特に縁遠い。だのにその若者が死んでしまったという衝撃感。次いで、好奇心。人はその死という漠然としたものを他人の死によってでしか実感できないからだろう。死が実感できていないということは裏返せば生もまた実感ないということに他ならない。言い換えれば人は、他人の死を通して初めて自らが生きている有り難さを知ることができるのだ。死を知ることは生を実感することだ。ゆえにこの手の本は売れ、いつの時代もカンドーを与えてくれるわけである。