世の中は曖昧ではいけないのか
世の中とは、曖昧で多様なものだのはずだ。日本だけでも億単位の人が各地方に住み、年齢も背格好も収入も嗜好も考えもことごとく違っている。たとえごく近しい人はいたとしてもすべてが同じく当てはまる人間などいない。だからその多様さというのは分類不能であり、複雑であり曖昧なはずだ。これがあるがままの実際の姿であり、本来あるべき姿である。
だのに近年世の中の傾向としてモノゴトを何でも2分化、2極化と単純にする風潮が増している。例えば今度の総選挙。小泉首相曰く、争点は、郵政民営化に賛成か、反対か単純な選択なんです!ということなんだそうだが、本当にそれだけで今後の日本の行く末を決めて良いのだろうか。今の日本は経済だけでなく、内政や外交、社会保障、安全保障など山ほどの難題を抱えている。郵政法案に反対したからといって、その議員はその他の問題全てに無関係であったり無責任であろうはずもないし、第一この法案がその他の問題より最優先される大問題なのか。
また、その法案自体には賛成であるとして自民党に投票するとしたらば、そのことは小泉政権、自公連立内閣の4年間を信任することにほかならない。果たしてこの4年間、小泉首相の政権で何か良いことがあったのだろうか。景気は少しは回復してきたと言われているものの個人的に漠然とした感じでは、貧富の差が拡大し、残虐な殺人事件や自殺サイトなどでの自殺者の増加、大企業の不祥事などが多発したことしか思いつかない。外交問題一つとっても小泉首相となってから中国や韓国など近隣諸国との関係はこれまでになく冷え切っているし、アジア地域各国の支持なくして国連安保理事国入りなど夢の又夢だ。たとえ選挙で自公が大勝し郵政という内政問題は解決したとしても小泉政権が続く限り外交問題は全く進展しないし、北に拉致された人たちも帰ってこないだろう。
そしてこの4年間特に顕著になった世の傾向として、小泉首相のように、一言で何でも物事を単純化し、AかBかバッサリ切り分けることだ。曰く、民営化に賛成か反対か。構造改革に賛成ならば正義、反対するならば抵抗勢力、つまり悪と。そこには彼らの言う“改革”なるものの本質や程度、内容について一切語られていない。最初にまず改革=正義という図式があるのみだ。
社会全般を見ても官vs民、地方vs中央、勝ち組vs負け組、、女性だと負け犬と勝ち犬とすべて2分化、2極化されている。モノゴトはそんな単純なものでないだろうし、その間にももっといろいろあるはずなのにそれには一切言及されない。選挙での候補や政党を選ぶにあたってもマスコミは自民党か民主党かと喧しい。そこで増坊は思うのだが、もっと多様で自由な選択、曖昧な存在、中途半端な立場があってしかるべきではないのか。AかBかを問う前に、その間にあるものに目をやって考え語ることが今こそ大切だと思うのだが。
※長くなったのでもうちょい続きます。