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世界の終りから世界はまた始まる。
今回のバスツアーには、地元福島県に実家のある方も参加されていて、既に何回もこちらには帰省し震災後の状況を詳しく把握されていたので我々の案内人としても動いてくれた。その方曰く、福島の場合、大震災の被害といっても地震そのものは二割で、津波による被害が八割だとバスの中で語られていたが、そのことをいわきの浜に立って痛感した。
ネビル・シュートの原作で世に知られている近未来SFに、『渚にて』という小説がある。原作も読んだが、映画化もされていて昔テレビ放映されたのを観たような記憶がある。核戦争か何かで人類が全て死に絶えた世界を描いた話だったかと記憶する。映画のイメージなのか原作のものなのかわからないが、巨大津波に襲われた海岸地区を歩いてふとそのことを思い出した。まさにそこは、『渚にて』の世界そのものであった。
津波に呑まれ土台だけ残して跡形もなくなった家もあるが、瓦礫と化しながらもほぼ残っている家もかなりある。が、壊れた建物だけで人の姿は全く見えない。聞こえるのは波の音だけで、空には鳥の姿もない。遠くに人影が見えてもそれは平井君ら今回のバスツアーで訪れた人たちだけである。
「世界の終り」という言葉が頭をよぎる。ここは廃墟となっていしまった。さんざんSF小説やパニック映画で描かれてきた人類の消えてしまった世界がここにあると思った。ここには多くの人たちが日々暮らして平穏ながらもささやかな幸せを大事にして生きていたはずだ。そうした人の営み、平穏な日常を巨大地震が引き起こした大津波が一瞬にしてすべてをさらい破壊し奪ってしまったのだ。悲しみより怒りに近いやるせない思いがわいてくる。自分は憤っていた。
しかし帰り道、水産加工場の跡地には、頬かむりした地元おばちゃんたち数人が来ていて何か片づけ作業をしていた。おそらく工場で働いていた人たちかもしれない。彼女たちにお辞儀すると言葉もないながら泣いてるようにも見えるくしゃくしゃの満面の笑顔を返してきた。彼女たちは挫けも絶望もしていない。震災前と変わらず明るく元気であった。それを見て、ああこの笑顔があるならば、大丈夫だ。世界はまた再びここから始まると思えてきた。
ジョー・コッカーも歌っているビートルズの曲に、ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ/With a Little Help from My Friends というのがあるが、被害のあるなしに関わらず被災地の人たちと心を一つにして、まずは自分のできる、ちょっとした助け、援助から何かを始めたいと今も考え続けている。以下、もう少しだけ被災地の画像をアップしてこの項を終りとしたい。
人が消えてしまった家のがれきの庭にも藤の花は咲き、季節は再び移り変わっていく。