全てはマスダの不徳の致すところであるが 言葉を選んで書き直す。事実経緯だけを手短に。
今回のコンサート、スタッフとして関わり手伝ってくれた一青年との間で些細な誤解からトラブルが生じた。結果、彼を怒らせてしまい、私、マスダを非難するメールが出演者にまで届くようになってしまった。
私が関知する事実経緯と大きく異なる点も多々あり、反論すべきところであったが、宣伝など準備に追われて時間もなくその対応に苦慮するばかりであった。
また、このブログにもコンサート自体に影響を与えかねない「コメント」が再三届くようになり、それをいちいち削除していくよりもならばいっそブログ自体を終わらせる道を選ぶことにした。多くの方々にご迷惑をおかけしてしまった。その判断においても誤りだったと思わないでもない。
陳腐な言い回しだが、全ては私の不徳の致すところだと今深く思う。その一青年に対しても彼の純粋さを深く傷つけてしまったことに対し心よりお詫びしたい。
私はバカで鈍感であり他者に対して思いやる心が欠けていると心ある友人から指摘されている。このブログにおいてもつい筆が走り、迂闊にも書いたことで、多くの人たちを傷つけてきた。私が書いたこと、私の応対で、無意識のうちに他者を傷つけ悩ませ苦しませてきたとしたらやはりもう何にせよいったん終わりにすべきであろう。抗議や指摘を受けてから訂正したり削除し詫びて謝罪すれば済むことではない。ブログ終了はせめてもの責任の取り方だ。臆面なく続けていけるほど自分は厚顔ではない。
書くということに対しての責任、人と何かを共にやっていくときの対処の仕方、責任の取り方をもう一度じっくり考えたく思う。昔から気がついていたが自分は根本的に世の人たちと異なっているようだ。他者から非難されるには自らは非はないと思ってもやはりそれには相応の理由があろう。存在自体がトラブルの元なのかもしれない。
自分がいること、してきたことで常に他者をそうして傷つけ不快にさせ迷惑をかけるならば、もう自分は社会には不要な人間なのかもしれないと思わなくもないが、死ぬわけにもいかないし、こんな人間でも何か世に役立つ道を選びたい。音楽は自分にとって「恩返し」のつもりであったが、一連の経緯を振り返ると、何かをすることはたとえ結果が良くても常に大きなリスクと犠牲の上に成り立つものだと思わざる得ない。それは自分にとっても関わった誰にとっても。不幸なことだ。残念でならない。
ただ、ブログは終えても書くことは続けていく。読み手がいるならば有難いし、誰も読んでくれなくとも自分はこれからも書き続けるはずだ。書くことを禁じられたら死んでしまう。自分にとってそれは飯を喰うことや眠ることと同義なのだから。しかし、その公表の場として果たして不特定多数の方の目に曝され世界中に一瞬で読まれてしまうブログという形式が最適なのか検討してみたい。
何か別の形式で、本当に読みたい人だけが、読めるような無料での配信方法はないものだろうか。ご存知の方はぜひご教示願いたい。誰が読むかわからないからと言葉を選んで、奥歯にものが挟まったような文章ではなく、直截届く言葉で真剣に書きたいと思う。
言いたいこと、書きたいことは山ほどある。が、全て腹の中に呑み込んでしばらく「戦略的撤退」をしようと思う。今頭の中には、昔、子供の頃に天王寺の春一番で聴いた、忘れ難い今は亡き砂川正和が唄った「最後の本音」という曲のサビが鳴り響いている。
♪俺は決して悪い人間じゃない。 ただ考えが甘いだけ。
これからのことが決まったら、またこのブログでその行き先をお知らせします。
このブログを継続的に読んでくれていた
読者の皆さんへ。
本当に長い間ご愛読有難うございました。いつも応援や励ましのコメント頂き有難うございました。今回勝手に終わらせることになって本当に申し訳ありません。ごめんなさい。
でもこれで終わりでないと思います。またご一緒に旅に出ましょう。本や音楽、映画や旅について、まだまだ話したいことがたくさんあります。ぜひお付き合い下さい。そしてタイトルどおり「ほんとの人生」についてもこれからも共に考えたいと思います。増坊はちょっと疲れました。少しだけ休憩させてください。
どうかまたお付き合い下さい。その日までお元気で。
マスダ昭哲 2010 10.15.