今一度、音楽の力、うたの力を信じたい。
どんな芸術も人を癒し楽しませ励まし勇気づけてくれるもののはずだ。そしてそれは主食の食べものとビタミン類のような関係にある。白米は美味しくてもそれだけでは人は脚気になってしまう。人の心も意識せずとてビタミンを必要としている。
そしてもう一つ芸術の特性は時代を映す鏡だということだ。もちろん、絵画や彫刻のように時を越えて不変の価値を持つ作品は存在するし、クラシック音楽のように今聴いても十分素晴らしい人を感動させる時代を問わない芸術も多々ある。
芸術にどれが上だとか下位だとかのランクや優劣はないと考えるが、いつしか古典として歴史に残っていくものと、そうではない、あくまでも今日的、現代的なものがあるのは事実だ。考えてみると、古典として残っているものは、基本的に大衆の外にあるように思える。つまりルネッサンス期にも当時の民衆たちの大衆芸能的なものはあったはずだが、今残るのは、絵画ならルーヴルにあるような王侯貴族がパトロンとなって生まれた古典的名作だというように。
それはそれで素晴らしいもので人類の遺産だと考えるが、自分にとって感心のあるのは、今の芸術、特にかつてよく言われたようにカウンターカルチャーである。その定義は難しいが、考えるに消費社会の中で大衆の中から生まれた芸術だと考える。そこには当然のこと必然性がある。その必然性はときどきの時代、世相と密接に結びついている。
と、ここまで書いたら朝から降り続いていた冷たい雨は激しさを増し、おまけに雷も鳴りだしてパソコンの電源を切らざるえなくなった。続きはまた別に改めて書く。
昨日の真夏日から季節は晩秋に一気に一日で進んでしまった。親父じゃなくても寒くて風邪ひきそうだ。幸いその老父は今日のところは小康を取り戻している。それにしても暑いのも辛いが寒いのも何か心もとなく辛い。