これからの進行予定を
あれこれ抱えて慌しく忙しく、結果疲れているのは相変わらずだが、ようやく元の状態に戻った気がしている。「元の」というのは、5月の大型連休に大阪に行く前の状態で、忙しいのは変わらなくとも旅行での疲れはやっととれてきたということだ。
帰ってから一週間は本当に辛かった。旅疲れを癒すどころか、すぐ家の工事に急き立てられ、疲労と体調不良でフラフラでも書類や本を仕分けし、箱詰めし、二階から下ろして倉庫に運ぶことを繰り返していた。そんな最中出かける用、人と会う約束も入って、ついにはパニック障害を起こして友人との待ち合わせをすっぽかしたりもしてしまった。
その日は、2冊注文本の発送してから出かけようとしていて、その本は棚からすぐにみつかって梱包しようとしたら、見つけてからひょいとそこらに置いた一冊がみつからなくなった。今そこに出しておいたはずの本がなくなってしまい、それから大慌てであちこち探し回ったが出てこない。息も浅くなり汗がダラダラ出て、心臓もドキドキしてきた。くらくら目眩もし、吐きそうになり焦って慌てても仕方ないとしばらく休んで、もう一度ゆっくり衣類の山を全部どかしたらその隙間から出てきた。本棚から出してひょいとそこらに置いたら落ちたらしい。
しかしもう出かける時間になってしまい、その日の発送は諦めて、購入者にはメールだけ送って明日発送することを約束して家を出た。。正式なパニック障害がどうなのかよく知らないが、俺はいったいどうしてしまったのか、ああ、もう疲れすぎて頭おかしくなってしまいパニック起こしているなあと電車の中で思い至った。
その日は午後フォークロアセンターで打ち合わせがあり、その後に夜は世界半周旅行に旅立つ春友との送別飲み会があり、もう一人友人を誘って落ち合うはずだった。しかし、遅れて荻窪でその春友とは会い、地階にある居酒屋へ入ったら、携帯に電波が届かなかったこともあって、すっかりその友人のことは失念し、焼酎のボトルを1本空けたこともあって、また途中から意識不明となった。
そして11時過ぎ、その春友と無事の帰国を祈って握手して別れ、荻窪のホームで電車を待つ間に携帯を確認したらば、その会えなかった友人から留守電が何本も入っていた。要するに携帯が繋がらないので、連絡あるかと彼は荻窪をあちこちうろついて時間をつぶしていたらしい。結局諦めて帰宅したようで、慌てて電話したがもう出なかった。
帰り道も帰ってからもお詫びの電話とメールもして、翌日の夜になって連絡ついてひたすら陳謝したが、あまりに忙しく疲れも溜まっているとこうした失態を起こすのだと深く反省した。そして思ったのは、人もパソコンも同じく、いっぺんにいくつもの作業、タスクをしようとすると、処理できずにおかしくなってしまう。パソコンならば、ウインドウを開けすぎると、ついにはカーソルが動かなくなってフリーズする。人間だって全く同様で、あまりにも身に余る仕事や課題を一度に抱え込むと頭がいっぱいでパニックとなってしまう。まして自分はパソコンで言えば、メモリもハードディスクも容量が少ない旧式の、一時代前のタイプなわけで、そんな人間があれこれ同時にいくつものことをやれるはずがない。
そもそもが自らの売本稼業と、ブログで好きな音楽のこととか書いているのが適度のはずだったのが、ライブの企画や本の出版、CD製作まで抱え込んで、さらには家の工事も始まって、どう考えたって能力的に無理過ぎるではないか。どれも今やらねばならない、やむにやまれずヤマト魂という気持ちもあるが、結果としてパソコンがいかれてフリーズするように、自分の体、ささやかな人生さえも強制終了させられるかもしれない。
大阪から帰ってから数日は朝起きても体は寝て休んだはずなのに、まるで鉛のように重たく節々が痛くて目が覚めても起きることができかった。起き上がることすら辛かった。無理して身を起こして自ら叱咤してベッドから出ていたが、それほどの疲労感はこれまでの人生では記憶にない。しかし、幸い今週になってからようやく心身共にいくぶんか楽になってきて、気持ちも前向きになって、よし、大変でもともかくがんばろう、がんばらねばという気持ちが戻ってきた。
これからの予定であるが、大変だとか辛いとかグチをこぼしてもしょうがないし、日程だけは決まっていることなので、一つ一つ成功させるよう懸命の努力はしていくつもりだ。このブログももう休まず書いていかないと、先がまた詰まっているので、過去のことが書ききれなくなってしまう。
まだ春一番の報告も中途だし、その前の京都拾得での藤村直樹氏の生前葬となったライブもきちんと報告したいしその義務があろう。合間合間に家の工事の状況報告と、7月3日の隅田川フォークフェスの「宣伝」を交えつつ、書き進めていきたいと思う。
しかし、本当に疲れてブログを書くどころかおきてもいられないときもあるかもしれないので、もし更新されていないときは疲労が過ぎたのだろうと推察されご寛恕願いたい。