家のことはまだ峠は越していないが50過ぎの子供が思うことを少し
風の冷たいひんやりした土曜の夜である。
今日も友人を招いて必死に二階自室の私物の片付け、積年のガラクタ、紙モノ類を箱詰めして二階から下ろした。オーディオ機器やそのラック、レコード、カセットテープ類などは大方どかしたので、今残るは散乱する紙モノ、チラシ、若いときから書き記した原稿やイラストなど書類だけとなった。明日一日あれば何とかなるかと思う。
一方外では大工たちは、二階の屋根の高さまで単管をクランプで組み、足場作りに精出していた。それは完成したので明日日曜は作業は休みだと思うが、いよいよ来週から基礎の上に柱を立ち上げていく、新築ならば「棟上」である。ウチの場合は、旧い柱を残しての半ばリフォームのような部分もあるので、そう一気には進まないとは思うが、基礎から次の段階にこれから移っていくわけで感慨深い。そのためにはこの二階自室をカラにして床も剥がして新たに柱を組まないとならないわけで、今週はブログも休んで寸暇を惜しんで約40年間の溜まりに溜まったガラクタを片付けているのだ。
その作業をしながらつくづくほとほと思うのは、年貢の納め時という言葉だ。ついに自分もこうしてこれまでの人生、過去ときちんと向き合い、整理と処分するときが来たということだ。恥ずかしい話、人は皆それを普通は誰もがやっている。何のことかと言えば、就職して家を出て、結婚したりする一連の事柄である。人はその都度、嫌でもそれまでの若い頃の日々、子供時代と決別し、一つづつ大人になっていく。それが年貢を納めていくことだと自分は思う。
恥を告白すると、自分は今まで一度もきちんと年貢を納めたことがなかった。一応は三流大学を何年もかかって出て就職のようなことはしたし、家も出たこともあったが、結婚もしなかったし、当然子供いないし、親元、つまり子供の頃からの家で長年親と暮らしてきて、つまりそうしたごく当たり前の社会一般的な人生を歩かなかった。つまり何十歳に歳だけはとろうとずっと子供のままだったのである。なぜなら・・・
好き勝手に自分のことだけを考え、自由気ままに日々安易に楽なほうにだらだらと生きてきた。就職もそうだし、結婚も親になることも含めてそうした人としての当然の「年貢」は極力納めないで生きることを選んだ。今だって年金どころか税金だってろくに払っていないし、本当にそこらのヤクザよりタチが悪いのらくら者怠け者である。
しかし、今家の建替えに及んで、嫌でも過去と向き合い、積年の溜まりに溜まった自らの垂れ流してきたガラクタに向き合いその処分を切羽詰って迫られ、辛いとか大変とか以前に思うは、人は皆誰でもこうしたことをその時々きちんとやって、過去を過去として決別のため処理してきているのだ、今までそれをやらないで、だらしなく生きっぱなしで来たツケがこれなのだから仕方ない。やはり人はいつかは必ず年貢を納めときがくるのだなあという自嘲のような感慨である。
敬愛するシンガー、中川五郎氏の曲に「30歳の子供」というのがある。それは、彼が70年代半ば過ぎ、ちょうどその年頃に作った、半ば自らを省みての何歳になっても大人になりきれない子供のような人たちのことを歌った傑作だと信じるが、彼は今、それを今の年齢に合わせて60歳の子供として、成長させて唄っている。それは本当に素晴らしいことで変わらない真実が今もそこにある。そのうたを聴くたび、やはりこの世には自分と同じような「年貢を納めることのできない」いつまでたっても子供のままの大人がいるのだと嘆息しつつ嬉しくもなってくる。
自分は今50を過ぎた子供だが、今回少しは年貢を納めたところで、やはり子供であることには変わらないと思う。しかし、それはそういう風にしか生きられなかったわけだし、障害が個性であるように、それもまた自分なのだから仕方ない。これからもときに応じて仕方なく年貢はちょびちょび納めるだろうが、おそらくできるだけ払わずにすむよう生きていくだろう。だって見かけはジジイでも中身は子供なのだからしょうがないではないか。そして最後には嫌でも「死」という年貢を納めるときがくるのだ。