そこは「店」とかライブハウスでもなく・・・
昔はいざ知らず、今は、ライブハウスやホール会場でなくともどこでだってライブを催しても良い、ライブができる時代だから、喫茶店やスナック、居酒屋はもとより、沖縄料理店、中華料理店、天麩羅屋、蕎麦屋でだってライブ会場となるし、ときには、個人宅や私室でさえも、隣近所から文句が出なければ、「ライブハウス」とすることも可能だろう。
今までそうして様々な場所、あちこちの店でフォークシンガーのライブを観てきた自分だが、中でもヘンの最右翼と思えるのは、移転したとかしないとか確認していないが、高円寺の古本酒場「コクテイル」だと思っていたが、亀有のキッドボックスもそれとは別な意味で右翼というか異端であってカンドー的ですらあった。ほんといろんな意味でビックリし感心した。これは誉めている。
そこのマスター氏とは以前からあちこちのライブ会場で出会い懇意にしていて、何度も来てくれと誘われてはいたのだが、じっさい、東京の田舎者、西の端、多摩の山裾に暮らす身にとっては、東京の東側というのは昔から未知の世界であり、なかなか行くにも覚悟がいるところだった。ようやく近年になって川を越えて墨田区両国まで足繁く通うようになってきた自分には先年生まれて初めて一度だけライブで柴又に行く機会があったぐらいで、亀有にせよそっちの方面は、映画やマンガでしか知るしかない、全く未踏のゾーンであった。おそらくライブの機会とか何かの用事でもない限り、自ら思い立ち行くことなど生涯ない場所である。そんな中央線とせいぜい山手線内だけで生きてきた田舎者がついに意を決して友人の住む金町、そしてキッドボックスのある亀有に行ってきた。
当たり前の話だがそこにも人が住んでいて、家はびっしりだしイトーヨーカドーも駅前にあり、よほど増坊の済む青梅線沿線よりは都会であった。都区内だから当然か。ただ、視界に常に山があり、低いけれど山々で地平線が区切られ、世界が閉ざされているのに慣れている者にとっては、坂さえもなくどこまでも真平らで家並みやビルが延々続くという風景は、すごく不思議であり、何か落ち着かない不安な気分にさせられた。やはり自分は田舎者で目の先に山がいつも見えないと落ち着けない性分なのだと気がつく。
さて、そのキッドボックスだが、亀有北口のほぼ駅前にあり、小体な三階建てのビルの一階であった。元々が海外からの輸入玩具の店舗であり、近年になって、そこのオーナーであるマスターが地の利を生かして好きなフォークシンガーを招いて狭いながらも店内でライブを行うようになったということのようだ。増坊は開演6時のちょっとすぎに着いた。
中に入ると約10畳もないぐらいの店内は、既にお客さんが満席で、店内には海外の人形やらおもちゃとスピーカーがあちこち壁いっぱいで中ほどのテーブルには酒類の瓶とツマミが並んでいてそれを囲むようにU字型に客席があり、奥にはキーボードが置かれマイクスタンドがあり、そこがステージのようだ。店内はもう身動きとれないほどである。お客はそれぞれ勝手に自分でコップを片手に好きな酒を注いではめいめい呑んで食べている。
マダムギターであるはずの長見順さんがそのキーボードを前にマイクの調整していて、奥の二階へ続く鉄骨むき出しの階段には、中川五郎さんがワインのコップを手にぼんやり座っていた。今晩は、この2人で初顔合わせで午後6時スタートなのである。訊くところによると、二人は4時にここに来て、音合わせをするばずだったが、何もせんとひたすら今まで呑み続けていたらしい。
ライブは、一部が長見順のソロ、休憩を挟んで二部が長見のキーボードとギターのサポートを得て中川五郎という展開で、女超絶ロックギタリストだと春一番などでは知っていた彼女の別な一面、ピアニストとしても一流であることが今回初めてようやくわかった。というわけで、まずは彼女のキーボードから始まり、エレキギターに持ち替えて約1時間十分に彼女のソロを堪能できた。五郎さんに関しては毎度の熱演熱唱で、先の両国フォークロアセンターのときのように、こちらがあまり曲目の注文など出さないほうが、自由闊達好き勝手にうたえたようで申し訳なくも思った。彼も約1時間を遥かに超す大熱演で汗まみれの絶唱「ビッグスカイ」で終わったのは9時近くだった。
で、それから五郎さんと長見女史を囲んでだらだらと宴会が始まった。帰る客は一人もいなかった。次々酒の瓶が空いていく。そして気がついたら11時過ぎていて、最後に五郎さんたち残っていた皆で駅に向かったという次第である。※長くなったのでもう一回だけ続きを書くたい。