「最後」のフォークシンガー岡大介との出会い
自分が今50を過ぎてきて、残りの人生を思うとき、まあ不慮の事故やタチの悪い病気に罹らないかぎり、たぶん70歳ぐらいまでは生きられるのではないか。しかし、人として何かをできるのはその年齢が上限であって、我が両親を見る限り、80歳を近づくにつれ心身ともに衰え、人格崩壊的にダメになって、80以降はもはや介助、介護なしではとても一人では生きていけなくなっている。これはおそらく世間一般的にも厳然たる事実であり、もちろん個人差はあろうとも、人が人として自ら考え一人で行動できるのは70歳をメドとすべきだと自分は固く考えている。となると後せいぜい20年かそこらである。
自分にとってその20年は決して短くもないし、後にはきっとあっという間だと思うのだろうが、まだまだやりたいことも山ほどあるし、健康でさえいれば多くのことが出来るはずだし、がんばってやらねばならないと思っている。何のことかというと、何をさておいても一番は日本のフォークソングについてであり、使命として何としても先達のフォークシンガーや過去フォークシーンに関わった方々のワークスをきちんと記録し保存して後世に残し伝えたいと真剣に考えている。それにはもはやあまり時間はない。
というのは、そもそものパイオニア的な人たち、まず日本のフォークソングの黎明期に登場した方々が既に還暦を越えて、現在も当時から活動している方々はほぼ誰も還暦前後、アラ還というのが現実だからだ。ということは自分の試算では彼らが元気でいるのは後10年ということになる。もちろん今も現役で、若いときから一切変わらずパワフルな方々、例えば遠藤賢司に代表されるような素晴らしくエネルギッシュなシンガーもいることはいるが、中には、高田渡をはじめ、櫛の歯が抜けるように欠けていく人も多々いるのも一方であるし、その傾向は今後さらに拍車がかかるかと踏んでいるので、何にしろこの10年が勝負だと考えている。
自分ができることは彼らと会い、当時の話や証言を聞き記して、音源をまとめて整理して、保存しできればアーカイブス的に公的に残して行けたらと考えている。非力な自分に何ができるかと自ら問い嘲笑う自分もいるが、それこそが自分の立場として、子供の頃、深夜放送で日本のフォーク、高石、岡林と出会い、以降一時は離れた時期もあったにせよ、ほぼ40年間、その変遷を聴き続けてきたものとして、それは義務であり責任であり恩返しのようなものだと思う。名曲「男らしいってわかるかい」の一節ではないが、“この俺をこんなに変えてくれた昔の友がいる”としたらそのために何か恩を返すべきだと考える。
そんな自分にとって、若き友岡大介との出会いはまさに運命的、衝撃的なものであった。彼こそが日本のフォークソング界の期待の星であり、ある意味で最後のフォークシンガーであったからだ。長くなるのでそのことを次回もう少し補足したい。