諸悪の根源の小選挙区二大政党制
いよいよ待ちに待った衆院選が始まった。自民党は金にものを言わせて、このブログ、エキサイトブログの投稿ページの上部にまでデカデカと「日本を考える夏にしてください。日本を守る、責任力。自民党」と広告を貼っている。それを目にしつつ今ブログを書いているわけだが、不快なることこのうえない。
そもそもいかに広告費をもらったからといって、ネット上のサイトの広告欄を全面的に借り切ることは公選法上許されるのだろうか。つまりこれは金のある大政党だけの特権でしかなく公平でない。また、それを広告費をもらったからといって許諾するエキサイトという会社の公企業としてのポリシーはどこにあるのだろうか。首を傾げてしまう。今回の選挙、ヤフーをはじめあちこちのサイトで、こうした政党広告をやたら目にするが、果たしてそれを目にした有権者は、ふーんなるほどそうか、自民党でなくてはダメなんだと思い、支持が増えるのだろうか。まあ、日本を考える夏にしてください、というキャッチコピーだけはまったく同感であるが。
それにしてもいくら自民党が暮らしを守る、経済を守ると「日本を守る責任力」を喧伝しようが、ここまで日本を破壊したのは、間違いなく10年に及ぶ自公連立政権の結果であり、その彼らが自らのしてきたことに責任をとらずに「責任力」や「実績」を誇るとは臆面ないどころか厚顔無恥としか言いようがない。暮らしと福祉、医療の予算を削りに削って今日の貧困と格差社会を生み出したのは、彼ら自民、公明政権であり、長引く不況も使い捨てと過労死などの雇用不安先だっての世界同時不況のせいではない。国民の多くはそのことを身にしみて体感しているから、今度は自公ではなく民主党政権に期待しているのである。しかし、ではその民主党に任せれば真にこの国は良くなるのか。
増坊が考えるに、日本をこんなにめちゃくちゃにしたのは、長年の自公政権、中でも無責任小泉政権だと断言するが、もし民主党単独での政権ができたらば、またもや日本は新たにひどくなっていくと思える。少なくとも今の自公政治よりは良くなる点もあるだろうが、逆にとんでもなく悪くなる部分も多々あり、彼らを全面的に許容も信頼もしてはならないと進言したい。というのも民主党のマニフェストをざっと目を通すと、共感し期待すべき政策も多くあるものの、それとは逆に絶対に許すことのできない認められない公約があるからだ。先だって告示日のインタビューで鳩山代表は、「マニフェストに書いたことは(空約束ではなく)すべて実現する」と胸を張っていた。ならばなおのこと要注意である。
個々に取上げてもくだくだしいので、最大の懸案事項は、当初記載されていた、米国との自由貿易協定(FTA)締結であり、もしこれが実現したらば国内の農業は壊滅的打撃を受け、せっかくほんの少し上がってきた食料自給率は再び低下することは確実であり結果日本から農家はなくなってしまう。民主案では、安く輸入野菜が入ろうとその分価格を保証するから農家は安心だと抗弁するが、そのレベルの問題ではない。世界的異常気象で国家にとって食料自給率をいかに上げるか最重要問題とされる時代に逆行する愚策でしかない。
もう一つ問題だと思えるのは、国会議員の定数削減である。この国ではなぜか議員給与や特別手当を削ることはせずにその定数を減らすことに腐心する傾向があり、それが行政改革だと勘違いしているが、政治家が多いことと政治が悪いこととは全く関係ない。政治とはいかに正しく国民の民意が反映されていくことかであり、日本を、暮らしを良くしてほしいと自分達が選んだ政治家に任せたのに、その願いが届かず期待に反して逆に生活が苦しくなっていくなら正しい政治家を選ばなかったからに他ならない。その最大の悪例が先の郵政選挙であり、構造改革の本丸として郵政民営化の是非を問い、結果国民の多くは小泉偽改革に騙され支持し、小泉チルドレンのような政治家以前に人としても未熟な議員を大量に生み出して自公政権を信任したから今のような日本社会になってしまったのである。その轍を繰り返してならない。
ところが、ほぼすべてのマスコミでは、今回の選挙は、自民か民主か二者択一の「政権選択」が争点だと報道している。それは一概に間違いではないが本来選挙の争点はそこではない。これもまた先の、郵政民営化は是か非かを問うパターンの繰り返しであり、本当に大切なことを見失わせる結果となっている。選択すべきは自民党か民主党かだけではない。もっと広範囲に、真に信頼足る、政治を任せられる人と政党は誰か、どの党なのかを選ぶことであり、AかBかのごく単純な図式で究極の選択を安易にすべきであっては絶対にならないはずだ。国民はまたしても騙されて愚かな選択をするのだろうか。
民主党マニフェストでは、衆院の議員定数から比例で80削減すると明記している。ということはほぼ全て小選挙区だけで選挙が行われるということだ。もしそれが実現したらば、この国の政治には小政党というものは一つも存在しなくなってしまう。自民か民主か。つまり、民主党政権が出来て、それが良くなかったとした場合、国民は次はまた自民党を選び、また自民がダメならば民主党へと政権が米国のように二大政党間で交互にたらい回しにされる。それは国民にとって良いことだろうか。
思うに、自民党も民主党も元々は同じ穴のムジナであるとすれば、小選挙区による選挙制度とは彼ら名称は異なれと同じ仲間たち二大政党による究極の独裁政治に他ならない。つまり福田、安倍、麻生の自民、鳩山、小沢の民主間で未来永劫政権を維持できるということなのだ。それをゆるしてはならない。
そもそも小選挙区というのはもっとも民意が反映されない最悪の選挙制度である。例えばの話、百人の有権者がいて、一人の議員を選ぶとする。AとBという候補者が立ち百人全員が投票し、結果、51表対49票でAが当選したする。で、Bは49票で落選した。議員にはAがなったわけだが、Bに投票した人たちの民意はどうなるのだろうか。本来の民主主義では、多数決の原理とはいえ、ここまで切迫した別意見があればそれをも勘案してうまく取り入れるか、再度選挙で民意を問い直し確認すべぎであろう。ところが小選挙区ではそれはなく、49人の意見は切り捨てられる。同様に、小政党を支持し投票したとしてもそれは全く反映されない。
ならば定数が複数となる中選挙区制度や比例代表制度のほうがより正しく民意が反映されるわけで、いつの間にか政治制度改革などと称して大政党に有利になるように改悪されてしまったのだ。そこに今回さらにまた比例定数削減を公約している民主党を絶対に支持することはできない。今日のような多様化し多種多彩な嗜好と志向を持つ日本国民に米国はいざ知らず二大政党制は馴染まない。貧困者や社会的疎外者などマイノリティの意見ももっともっと政治に反映されねばならないばずだ。そのためには国会に複数の政党が必要であろう。今はまだ自、民以外の選択肢があるということを忘れてはならない。どうか今回こそマスコミに踊らされず、国民は真に日本を考える夏にしてほしいと願ってやまない。