富士登山が迫ってきて
朝早くから強い雨の音で起きてしまった。台風が来ているらしい。
慌てて暑さで開け放していた窓は閉めたが、増坊の家は今解体途中だから、あちこち壁はないし、閉まらない窓もある。台風が直撃したら大変なことになると雨の中さっきまで剥がしたベニヤ板を運び込みとりあえずの応急処置をした。そしたらいったんは雨がやんで静かになった。でもこれから予報では夜半まで雷雨を伴う激しい雨とのこと。憂鬱である。八高線も青梅線もさっきまで動いてなかった。
昨晩は8時前、やや強い長く揺れる地震があって都内にいたのだが、かなり焦ってしまった。家に電話かけたら大したことなかったが、あれ以上の揺れが来たら自室にいたら本の山が崩れて圧死である。全然すっきりしない天候も含めて何か不穏な感じのする今年の夏だ。総選挙の結果も含めて激動の年なのかもしれない。
そんなさなか、富士登山の日が迫ってきた。このところの天気だとまずカラッと晴れることは期待できそうにないが、台風や大雨にならなければと願うだけだ。あと一週間だ。
準備もろくにまだしていないが、それより問題は体調で、慢性的な疲れは残っているし、今さらトレーニングしたり体力をつけるとか運動はさらに逆効果でしかないから、できるだけじっとして脆弱な体を温存しておくことしかできない。果たして50代に入ってからろくな準備もなしに登って降りて帰ってこれるのか不安は高まっている。下手に転んだり捻ったりして皆の足を引っ張らなければ良いのだが。
でも同時に胸がわくわくするような期待も高まっている。富士登山とは実際に六根清浄のためのものであるし、これまで抱えていること、懸案のこと、果たせない約束などすべてここで一回投げ出して下山後はリセットしたいと思っている。
そしてもう一つ楽しみにしているのは、富士の山腹から見下ろす夜景である。俗に、例えば函館山からの夜景は東洋一とか、100万ドルの夜景と言われるところはあちこちにあるが、自分が知る限り富士から見る大都会東京の広大な夜景に優るものはない。陳腐な表現だが、まさしく宝石箱をぶちまけたとしか表現できない。キラキラと様々な色の灯りが、暗闇の中、眼下に遠くまでまぶしく光溢れている。生きている間にあの素晴らしい絶景をぜひもう一回見てみたいと常々思っていた。天候が心配だが、そんなことも楽しみにどんなに苦しくても行く価値があるのが富士山なのだ。