犬もネコも人間も高齢化してしまい今後どうなるのか。
梅雨は明けたのか、明けてないのか。何だかはっきりしない不順な気候が続く。晴れるとカーッと暑くなるから、曇ったほうが過ごしやすくて助かるのだけれど。気がつけば7月ももう終わりだ。
昨晩、ネットで自分にとって同時代を生きてきた役者、山田辰夫の死を知って、気持ちも沈みがちだ。大ファンというわけではなかったが、デビュー作から観てきて、その不良性と抱えている屈託に常に共感してきた。もちろんそれは演技だったのだろうが、あんなに巧みに、弱さからくる虚勢とその裏の優しさ、繊細さを表現した役者はいなかったと思う。53歳というのはあまりにまだ早い気もするが、それもまた天命なのか、ならば自分もまたいつ死ぬかわからないと改めて思い至った。もはや死は身近に存在している。
そう、人生は生きている間だけのことだから、あれもこれもやりたいことは多々あれども時間的、体力的、それに経済的制約もあって、なかなか思い通りにはならない。まして、他者との共同作業は、相手の都合や気持ちもあるので、こちらが焦って早く進めたくともどうにも思い通りにはならない。
結局、すべてはなるようにしかならないのかもしれないし、何か自分の意思とは無関係なところで動いていくようにも思える。まずは自分のこと優先なのは言うまでもないが、モノゴトが進むのにも流れのようなものがあるとしたら、それに抗うことはすべきではないと思う。特に人間関係においては。
自分にもいろいろ企画や予定があり、それを早くカタチにしたいと切望するが、そこにまた雑多な用事がからんでくる。今忙しいというか、時間をとられているのは、我が家の犬達のうち、もっとも年寄りのメス犬が先日、子宮筋腫の手術をし、まだ傷が癒えず、傷口に薬を塗ったり、包帯を取り替えたり、病院に連れて行ったりと世話がやけるからだ。彼女は15歳で、人間にすれば80歳近い歳だが、手術は幸い無事成功した。
今この家にいる動物たちは、気がつけば、皆老人年寄りばかりで、一番若い旅次郎猫は、家出して帰ってこないから、人も含めての総平均年齢は70歳を軽く超えていると思う。そして、何より問題なのは、この増坊が一番の若者だということなのだ。