江分利満氏の老いと死の記録
自分には文学や音楽の師匠と思える人が何人かいる。きちんと弟子にしてもらったわけではなく、勝手に私淑しているに過ぎないし、まして一度もきちんと挨拶さえ会ったことさえない人もいる。
音楽はさておき、文学では、やはり山口瞳先生と色川武大両氏にもっとも強く影響を受けた。どちらも無頼派であり、極端な社交家でもあり、かつ自らはまっとうではない異端であると恥じ入るような含羞の人でもあった。残念なことに二人とも既になく、見かけたことはあっても畏れ多くて口さえきいたことのない「弟子」にすぎないのだが、文体も考え方自体も今も自分は強く影響を受けていることを告白せずにはいられない。
その山口先生が亡くなられて気がつくと既に14年も経つ。せいぜいまだ10年そこらだと思って数えてみて愕然とした。月日の経つのは実に早い。もう今の人は、山口瞳という頑固な一言居士がいたことも知らないだろう。毎年成人の日には、新聞広告で、新成人の若者に向けて大人の立場から暖かい応援と励ましの辞を書いていたことも懐かしい。常識と愛情と節度と何事にも拘りを持ったヘンな人であった。
自分は、何かに行き詰ると本棚から彼が在りし日の日常を記した「男性自身」シリーズを一冊取り出してはどこでもかまわずページを繰る。先生の謦咳は確かにそこにあり、それが既にこの世にいない人だけに、彼の発するメッセージはこちらの心に深く染み入ってくる。人はこうして生きてこうして死んでいく、それが人生なのだと彼は常に教えてくれるのだ。
山口瞳が特異な作家だと思えるのは、彼はデビューしたときから大人であり、終生そのままの姿で歳をとり続け、生涯現役のままペンを置いたということだ。その一挙一動とその思考は、週間単位で雑誌に連載されていたから、今でもそれを纏めた本を読めば、彼がその時々何をして何を考えていたのかたちどころに理解できるのである。荷風の日記も意味あることかもしれないが、晩年に行くにつれほとんど雑記録しか記していないことを思うと、実に1963年から死の1995年まで毎週欠かさず連載し31年間も書き続けた「男性自身」シリーズこそ、文学史に残る稀有な個人記録ではないか。
山口瞳は、昭和38年「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞をとり、実質的作家生活をはじめた。よく知られているように、その江分利氏とは、彼自身のことであり、多少のフィクションもあるものの彼の日常を客観的に描いたもので限りなく私小説に近い。小説以前に随筆的要素も多々みられ、それは後に全面に出て、彼自身の肉声として男性自身シリーズへそのまま移行していくことになる。
興味深いのは、そのデビュー作の時点で、彼は既に中年的疲労感が色濃く出ていて、実に老成した感じがしていることだ。じっさいの話、書かれたのは35歳の頃なのに、不思議なぐらいそこには若さも華やかさも元気さもない。公園で遊ぶ息子の庄助を見る目は老人のものだし、愚痴とも溜息ともつかない諦観口調がユーモアに見え隠れしている。
彼は、大正末年生まれの戦中派として、戦争に借り出され、戦争によって青春時代を奪われた世代であるから、「青春」なんてものは最初から失われているかのようにも推察はできるが、今読み返すと違和感さえ思える。ただ、この若いときからの老成ぶりは生涯彼の持ち味となって、ご隠居的老人感覚を全面に出し社会と接していくようになるわけだ。若いときからの老人感覚の持ち主が、やがては本物の老人へと移行していく。そこがまた山口瞳という全身作家の魅力であり深みなのである。
江分利満氏から始まり、彼が生涯かけて書き続けたエッセイ、週刊新潮に連載された「男性自身」は、読みようによっては山口瞳という男の老いの記録でもある。リアルタイムで読んでいた読者は、彼がじょじょに歳と共に老いて気は萎えて体力は衰え病気がちになり、最後は入院しそのまま還らぬ人となるまでを看取ることとなったはずだ。じっさい、1963年12月から31年間、欠かさず毎週連載され1614回に及んだそのシリーズこそ、小説家となった彼の人生の記録そのものでもあった。
晩年近くには、前立腺肥大によって、小便の出が悪くなり、深夜に何度も起きることや尿閉になって、脂汗流して救急車を呼んだ話なども包み隠さず記されているし、まだ若いときにそれを読んだ自分にとっても興味深く、そして今にしてその感覚がだいぶ理解できるようにもなってきた。そしてそのことを隠さずに書き記してくれた山口先生に感謝するし、それこそが彼の小説なのだと今にして気がつく。
誰にでも起こりうる当たり前のことを平易な文章で面白おかしく描き、そこに真理の光を当てる。短いながらもこのシリーズは名人芸としか言いようがない。こうした短文エッセイを書かせて彼に優る人は向田邦子しかいないと思うが、年月を加味するとやはり山口瞳に軍配が上がろう。
もし許されるならば自分も彼に倣って、自らの老いを書き記していきたいと考えている。ただ、それがどこまで芸として文になり、読み物として読み手に面白く読んでもらえるかどうかであるが。