本の世界に帰ってきた。
一夜明けて。今、自分を取り囲んでいる本棚や平積みの本の山を見回してほっとした気持ちでいる。ミュージシャンが長いツアーから戻って家に帰ってきたときもこんな感じだろうか。といってもこのところ毎日ずっと家に居て、今も全く同じ状態なのだが、懸案のことを一つなし終えたせいか今朝は全てが新鮮にさえ見える。
この一週間は、商売のことそっちのけで、パソコンに向かってはワークショップで流すフォークジャンボリーなどの古い音源を聴きまくり配布する資料を打ち込むのに追われていた。以前も書いたと思うが、自分は不思議な才能があって、本を売りたいと思うときは注文が増えて、別のことに忙しく商売どころでないようなときはばったり何日も注文が途絶える。念ずれば思いは叶うとまでは言わないが、幸いにして今週は本の注文はほとんどなく30日に向けての準備にひたすら専念できた。約2時間の催しのために何十時間かけていくら金を使ったかは言わないがかなりかけてしまった。
このブログは表題どおりでは本のブログであるはずなのに、この数年は専ら音楽のことばかり、特にライブの話や唄い手のことばかりとなってしまっていて、近いうち名称を変更すべきかと考えてもいたが、今はやはり「本」のブログであって良かったと思いなおした。本に囲まれて落ち着いた気分でしみじみそう思う。
自分の場合、音楽というのは、単純にCD などを家で一人聴くことではなく、どこか他の場所へ行き人と会うことに他ならない。要するに他者と向き合い、他者と何かをすることだ。淋しく人恋しいときや、一人で居ると辛いときはともかく、どこかへ出向き大勢の人と会うことは決して楽しいことばかりではない。好きな音楽を聴きに行ったはずなのに行った先で人にむせてかえって疲れて帰ってくることもままあり、音楽の「楽」は楽しいという字だが、常に楽しいことばかりではない。
まして自分は古本屋業などを選んだこともそうだが、表に出て他者と共に何かをやったり成し得ることは本来苦手で、体質的にできない人間であって、だから会社勤めもせずに世間と離れて異端者、脱落者としてひっそり生きてきた。
ろくにきちんと挨拶もできない、人の目を見て話せないような人間が、ひょんな成り行きで、人様を集めて人前で催しを行うなんてことは本来出過ぎた身の程知らずのトンデモナイ行為であり、自分でも何様のつもりなのかと恥じ入る気持ちが強い。ただ、請われて場を与えられ、自分もまた何かそのことで表現してみたく思うこともあったし、一回目の失態にこりずにこうしてまた回を重ねてしまった。
これはマスダが有名になりたくて、売名的にやってるんだという声もあろう。人間だから世間から認めてもらいたいという気持ちも当然ある。が、この歳になって人気者になろうとか、まして世間的に偉くなりたいなんてつゆほども思わず、できれば一無名のフォーク好きオッサンとして、拙ブログで気まま勝手に自分の思うこと好きなことをだらだら書いていきたいと望むだけであった。
ところが音楽を通して人と会ううちに、書いた内容や表現にご批判を受けたりと、とかく軋轢も生まれ困ったことになってもきている。まして人と何かをともにやっていくことはやはり難しいことだと昨日もつくづく思ってしまった。いつだって感じるのはそもそもその任にあらぬ男が何でこんなことをやってるんだ?という自問である。最後は必ずそこに至る。
ライブを聴いたりするのは、単にこちらは受け取る側だから気楽だし、そこでの付き合いも限定される。しかし、自らが発信する側になるとこれはまた別の問題があり、どこまで他者=来て頂いたお客に与えることができたかが問われてしまう。まして一応は会費をとるのだからその質と内容が求められてしまう。昨日の両国センターに来て頂いたお客様はどこまで満足されただろうか。
では、何故にそこまで言うならこんな企画に臨んだかと言うと、これは自分なりの音楽に対する「恩返し」だからだ。音楽、自分にとってそれは日本のフォークソングということなのだが、中学生のとき、深夜放送で岡林やRCを聞いて以来、ずっとそれは傍らにあり、清志郎の「トランジスタラジオ」という曲ではないが、常にいつだって辛いときも苦しいときも自分を支え励ましてくれた。去年しでかした「事故」のときも幸いにして岡大介とその仲間に出会い、彼らと楽しく唄ったり呑んだりしていなかったらきっと自分は心労のあまり自殺していだろう。音楽は僕を危機から救ってくれた。本当に有難い。だからその恩を返さねばならない。フォークソングの素晴らしさを語り、書き記し、できれば唄うことでも少しづつでも感謝の気持ちを示していきたいと思ってこんなことを臆面なくやっているのだ。そのことをご理解願いたい。