総評として、今思うこと
もう今は、来る30日の両国でのワークショップのほうに時間も気持ちも取られているので、既に終わってしまった今年の春一について、あれこれ書いたり思い出している時間ももったいないぐらいで、落ち着かず気もそぞろというのが正直なところだ。
今年もまた無理を通して、詰め込むだけ詰め込んだ最短日数だけの強行軍で行って、ともかく無事に帰れたのだから何一つ文句も不満もないわけだが、連続して4年目、4回目ともなると、参加する側としても新鮮味もなくなってくるし、また、主催者側にとっても今年は転機になったように思えてならない。全体を通してこれまでとは今年は何かが違ってきたような気がしている。まだ空が明るいうちにさくさくと終わってしまう日が何日もあったし。
毎年恒例の音楽のお祭りであり、同窓会的集いだといっても、年年歳歳、出演者も少しづつ変わっていくし、去年元気に出てギターを弾いていた人でも今年は既に鬼籍に入っていたりと、演者も企画者もそして観客も高齢化しているこのコンサートでは、何が起こるか以前に、来年は開催されるのかさえ保証の限りではない。
だから今年も行けて、知人、友人、懐かしい仲間たちと再会できただけで嬉しく行ったかいはあったし、また来年も家の方が留守にできるならば、おそらく自分はまたきっと行くと思える。ただ、今年はこれまでの年より感動は薄かったし、薄味というべきか全体的にやや物足りなかったのは事実であり、来年度もまたこんな感じであったならば、これだけ時間かけて苦労して東京から行く意味がもはやあるかと問い直すかもしれない。
欲求不満になったわけではないが、何かが少し違ってきていて、それは風太たち向こう側の原因なのか、それとも自分の側の変化なのかそれはわからないが、個人的にはもっと無理してでもしっかりした球を投げてほしい気がするし、こちら側もしっかりそれを受けとめたいと思う。春一番の魅力とはつまるところ、風太というキツイ人間の魅力であり、どっからでもかかってこんかい、という挑発的スタイルが彼の持ち味で、その非合法的不良性こそが、春一番を支えているもので、ここの音楽の本質でもあったはずだ。それがやんわりとソフトに、もう歳なんやから無理せんとこ、となってしまったらば、春一番も終わりが近いと言って良い。
果たして来年はどうなるのか、どのように変化していくのか、自分の関心は風太とあべちゃんの心の中にある。もっとキツイ球をしっかり投げて来んかいって思ってしまった自分はまだまだ若いのだろうか。