5/3日本番初日詳細★有山のステージに飛び入りした
加川良さんの熱唱。
増坊には、「春友」と呼ぶべき、この春一番コンサート会場で知り合った仲間達が何人かいる。会場が服部緑地となっての再開後の春一は今年で4年目となる自分だが、毎回野音開演前の列に並ぶお馴染みの顔ぶれの人たちと、通ううちいつしか言葉を交わすようになり、今では親しい友人となった。年に一度の春一番でしか会わないのだが、お互い会えるのを心待ちにしているまさに「同好の士」であり、今では彼らと会うこともまた大阪へ行く大きな目的ともなっている。歳も住まいも全くバラバラだが、好きな音楽が結び付けてくれた大切な仲間達で、今回はおそろいのTシャツさえ拵えてもらうほど、絆は深まっていたのだ。それを言えば、あのオカモトさんもその仲間であり、残念なことに去年も今年も会場に姿を現さなかった。もう死んでしまったんかもと淋しく思うが、できれば生きている限り、年に一度この会場で皆で集まりたいと切に願っている。
今年は日数が増えたので、地元関西組の人たちとはようやく3日に会えて、懐かしのオカモトはともかく例年通りの全員が揃った。で、開演前から缶ビールをで乾杯して、この日は朝から飲んでいたのも良くなかった。
春一番の間は、いつも毎朝出かけに、近くの安いスーパーで、缶ビール類を半ダース以上買い込んで、保冷バックに入れて会場に持ち込む。もちろん一人で呑むのではなく皆に振る舞い、また皆からも同じように回ってくるので、たぶん持っていった分と同じかそれ以上呑んでいるわけだが、毎年真黒に日焼けするほど暑さで汗で流れることもあり、いくら呑んでも酔っぱらうことなどこれまでなかった。
今年の春一番は天気がもう一つで、汗などほとんどかかなかったこともあるし、やはり疲れと清志郎のが死んだことが心に重くのしかかっていたこともあったのか、この日は体調が悪く酒が回って、頭も痛くトイレで少し吐いたりして、酔いに任せて音楽を聴きながらずっと泣きっぱなしであった。
清志郎の死が伝わった翌日でもあり、まだミュージシャンの間には表立ってそのことを口にしたり追悼の動きはなかったのだが、会場には武道館での清志郎復活ライブのTシャツを着た人の姿を多く目にしたし、有山じゅんじが何の説明もなく、タイマーズ時代の「デイ・ドリーム・ビリーバー」をあのペナペナ声で歌い上げたときからもう涙が止まらなくなって本当にその死が実感となって迫ってきてすべてが崩れてしまった。
まさに歌詞にあるように、♪ずっと夢を見て幸せだったな 僕は、Day Dream Believer そんで 彼女はクイーン ずっと夢見させてくれてありがとう とは、清志郎に対する会場みんなの思いだったに違いない。
幸いだと思えたのは、共にこの会場で音楽仲間達と一緒に彼の死を音楽で悼むことができたことで、一人でいたらばどう気持ちを処理してよいかきっとすごく苦しかったはずだ。頭も痛かったが涙が止まらず、客席に身を屈めてただ泣くだけだったが哀しくともその涙は暖かく熱かった。