まずは今日の大介バンドを終えてから
朝から外はものすごく強い初夏を思わせる陽射しで、日向でじっとしていると熱射病になりそうだ。犬の散歩だけで汗かいた。
今年の大型連休、関西でも東京でもあまり天気は良くなく、雨が降って寒いほどだった。戻ってようやく昨日から天気は回復し気持ちの良いまさに五月晴れとなったのだが、今日はちと暑過ぎる。
歳をとると、疲れはすぐ出ないと言うが、確かに帰った直後よりも昨日あたりからやたらだるくてしんどくて、たっぷり寝ても疲労感とれず起きてられくてまたベッドで横になってしまう。
気持ちも頭も回復したが、そんなこんなで春一番の報告がなかなか書けないでいる。今日は昼から狛江の大介バンドのイブに行かねばならないし、報告は明日からぼちぼちやっていくのでご勘弁願いたい。
今年の春一で多くの人と会い、語らい、また様々な音楽を見聞きして、深く思ったことはともかく無理しない、あれもこれもと詰め込まない、ということだった。振り返ればこれまでの人生、決して働き者ではないのにかなり無理してきた。いや、普段が怠け者だから、やるとき、やれるときにはいっぺんにかなり無理して無理を無理やり通してきた。
でも、そんな生き方をしていると、必ずしっぺ返しをくらうのが人生であり、特に50代は危険がいっぱいなわけで、地雷を踏まないようこの年代をうまく乗り切って本当の老人へと緩やかに移行していきたく思う。
もはや人の死は日常的になってしまい、去年元気でお会いした方でも1年会わないうちに亡くなられたり、倒れて現在入院中という話がごろごろしていて溜息つくしかない。偉そうなことを言うようだが、自分には使命があり、まだそれを果たしてもなく、ようやくこれから緒についた段階なのだから、今はまだ死ねないし死にたくない。
昨日の青山での清志郎の告別式、集まった一般ファンは何と4万人を越えたと新聞やテレビで報じていた。それはすごい大したことで、もはや社会現象といってよいとも思える。が、やはり行かないで良かった。もしそこに行っていたら、皆で共に感動もしたただろうが、また疲れでさらに一週間も寝込んでしまっただろうから。
それにしても、もしそこに集まった4万人の清志郎ファンが、彼が説き実践した愛と平和のメッセージを自分のこととして真に考え行動に移し、彼も憂いていた憲法九条を守る運動に参加したならば、この国もきっと大きく変わっていくに違いない。
清志郎の死が一過性のロックブームとなってレコード会社を潤わすだけで終わってはならない。人の死は残った人を大きく変える力を持つ。増坊だって、2005年4月、高田渡の死直後に急遽催された小金井公会堂でのお別れ会に参加しなければ、今のような音楽に関する活動は絶対にしていなかった。今の自分があるのはすべてそこからで、高田渡が死ななければこんな道には進まなかった。
ならば、清志郎の死を無駄にしないよう、志を継ぐ者たちがたくさん出てくるはずだし、世界はきっと変わると信じて自分も共にやっていきたい。
大切な思いがあるならばまずは行動に移していくこと。一人ひとりの小さな力でも集まればきっとこの世の中を変えられる。きっと変わる。そう信じて続けていこう。