そして岡大介と両国フォークロアセンターへと至る
今日26日は、岡大介が中央区のコミュニティFMにゲストとして招かれ、彼のCDから曲をかけながら話をするスタジオ収録があるので、それに立ち会うのと両国センターで聞き書き作業もあるので一日忙しくなる。続きは帰ってから書きます。
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帰って来ました。収録は無事終わりました。放送はこの土曜日28日の午後3時と再放送で日曜にももう一回あります。周波数など詳しいことは下記にお知らせしますが、DJとの丁々発止のやりとりに本当に感心しました。おまけにスタジオで生で唄ったので、これは極めて貴重な録音となりました。今日は自分が、まるでアラン・ロマックスのように思えた一日でした。皆が満足して喜んだけれど何より自分が一番嬉しかった。
2月28日・3月1日(こっちは再放送)の15:00~16:00のオンエア
周波数は84.0Mhz 番組名は「シネマ・エスプリ・カフェ」。資生堂の提供です。都内の方はたいてい聴けるはずですのでぜひぜひチェックしてください。本当に素晴らしい放送となると思います。
日本のフォークの期待の星、岡大介がゲストに招かれ余すところなく自らと音楽を語り、曲をかけスタジオで唄った一時間です。必聴です。こんなにうまく進行したラジオ番組はちょっと他にないんじゃないかと今回の構成したものとしても思いました。
★ナビゲーター
三留まゆみとゲストのかんから三線を手に
岡大介↓
前回の続き
昔、若いときに親しんだフォークソングと再会してからは、その翌年からの大阪での春一番コンサートにね毎回行くようになる。そこで、懐かしい福岡風太や雲遊天下誌を出していた村元さんとも再会し、ますますフォーク熱は高まっていく。そして今では春友と呼べる春一番仲間も増え、毎年皆と会場で会うことも楽しみとなった。
関西に出たついでには、京都のネット古書店の友人とも会うべく、京都でも何日か過ごすことになった。そこで、かねてより憧れの人であり、敬愛していた古川豪氏の薬屋にも顔を出すようになる。そしたらば、若林さんの奥さんから、京都に行くならば、純夫氏と親しかった六曜社のオクノ修さんを訪ねたらとアドバイスを受けた。で、名前だけは知っていたが、喫茶店のマスターでもある素晴らしい唄うたいであるオクノさんの知己を得、東京での彼のライブにも行くこととなった。
確か高円寺での彼のライブのとき、雑誌の取材のセッティングも兼ねて最後までオクノさんたち京都勢とライブハウスにいた。打ち上げのとき、インディーズの雄として名高いオフノートの神谷さんとついに出会い、ついでに会場をうろうろしていた少年に話しかけられた。その少年は当初、オクノさんが東京に連れて来た彼の息子だろうと我々は思っていたのだが、そうではなく実は、自分は岡大介というシンガーだと言う。そしてライブのチラシをくれた。
それが岡大介との出会いである。
彼の名前はその前に古川豪氏から聞いていて、かんから三線なる楽器を手に全国を回っているユニークなシンガーがいるという。しかしまさかこんな子供だと思っていなかったので本当に驚いた。彼は今でも若々しいがその頃は本当に幼く十代の少年にしか見えなかった。
そしてそれから彼のライブで、猫輔さんやバロンなかざわ氏を知り、ディランⅡの憧れの人、ながいようさんが東京でやったときは詳しくお話することもできた。また、昔通った西荻の「のみ亭」にまた通うようになったし、岡君から様々な素晴らしいミュージシャンや音楽愛好家を紹介され、増坊の世界は一気に広がっていった。そのことは本当に望外の幸せであり喜びであった。
すべては高田渡の死に始まり、今に至るすべては彼が結び付けてくれたことだったと今にして気がつく。
そしてそうした音楽のことを書いていたら、読者である漂泊のフォークシンガー、Oさんから、ならばぜひ両国フォークロアセンターに行かねばと、お誘いを受け、伝説のセンターの主宰者国崎清秀さんを紹介され、ついには昨年暮れそこで岡君のライブを自らの企画で行うことにまでなる。それもまた運命的出会いであったと思う。
こうしたことはすべて拙ブログで書きつつ、同時進行的にやってきたことだ。
昨年の大晦日、のみ亭の忘年会で、自分は岡君にこう告白した。「岡君と知り合い、音楽と再び出会わなければきっと自殺していただろう」と。その思いは今もある。なぜなら昨年は大変な交通事故をしでかしてしまいあわや人殺しとなるところだったのだから。