本当に今年こそと誓う
1年という区切りにどれほど意味があるかわからないが、少なくともその中で季節は同じように巡り時は繰り返す。ならば、やはりどこかで区切りをつけて、終えたことは過去の、過ぎたこととして気持ちも処理できよう。つまり、これからは新しく一からリセットしなおしたということだ。
新しい年が来た。今年こそその意味と価値を深く噛みしめている年はない。ようやく去年のことは過去のこととして終わらせても良いように思える。モノゴトは解決していなくとも過去のこととして気持ちも処理できよう。今はそのことが有難い。
憂歌団の昔の歌ではないが、1から出直し、やり直しという気持ちでいる。自分のダメさ加減は人からご指摘頂くなくとも十分うんざりすぎるほどわかっている。この歳で何を今さらとも思うが、新年を迎えて思うことは今はただそれだけだ。抱えている諸問題も果たして今年のうちに解決するか見通しは立たないが、だとしても気持ちは人生を新たにやり直したいと心から願う。笑われるかもしれないが。
そしてもし付け加えるとしたらば、残りの人生を丁寧に慎重に大切に使っていきたいと切に願うし、さらに、これはうぬぼれかもしれないが、こんな自分でもきっと人のために何かできることが少しはあるはずだ。今年こそはそれを確定しこれまでの失態の恩返しに真剣に取り組みたいと思う。
本当に生きていることは情けなく恥ずかしい。今だって死ぬことばかり考えている。しかし、老いた親たちのこともあって抱えているものが多すぎてまだ投げ出したり降りるわけにもいかない。ならばこんな人間でも生まれてきたからにはきっと何か役割があるのだと信じて、何とか頑張ってみたい。そう、まだ「歌いたいうたがあるんだ」という気持ちでいる。その歌が人の心に届くかはともかく、自分は下手くそな歌を歌い続けなくてはならない。それが生きていくことだと自らを叱咤して。どんなことでも投げ出さず続けていけばきっと何か見えてくると信じたい。
それはスポットライトでもなくとも。