もっと強くなりたい。開き直って生きていたい
告白すると今月4日、検察庁に呼び出しくらってから急にずっとどうにも調子が悪く、あれこれ考えても思い煩ってもどうにもなることでもないのに、気がつくと頭の中はあれこれ考えに囚われていっぱいで、デリケートな人間だとも思わないのだが、てきめんに胃腸に来てしまい、食べても胃もたれしたり下痢したり心身ともに調子を崩していた。本当に弱い人間だと自分でも思うし情けなくてしょうがない。こんなことを書いて実に恥ずかしい。
もっと開き直って、図太く生きていかねばと思うのだが、そう思ったからといってそうなれたら楽なわけで、小心で気が弱いのは何十年生きても治るわけではない。プレッシャーに極端に弱く、ことが起きるとうじうじくよくよ心配事で悩んでは心身共におかしくなっていく。そんな自分に試練のように次々とあれこれ考えないわけにはいかないことが続いた。
今はその出口のない息苦しい迷路から顔を出したように思えて、残りの人生を鑑みればどうせもうすぐ死ぬのだから死に急ぐこともないと思えるし、こんな自分でも生まれてきたからにはきっと何かの役割があるのだと思えるようになった。
悪政のつけからのこんな大不況で、派遣切りが横行して、住まいも仕事も失った失業者がホームレスと化している今日、とりあえず自分の家があり家族も犬猫もいて、とりあえずは飯が喰えているのだからこれは幸せであろう。様々なトラブルを抱えていても自分は幸運であった。何も慌てて死ぬことなんかない。
そして今そうして生きていくのに苦労し日々困っている人たちのためにこそ何かできること、やれることがあるのではないかと考えた。内村鑑三の言葉だったか、人は人のために生きてこそ人である、という言葉が頭をよぎる。
先だっての事故で自分は悔い改めたのではなかったのか。クリスマスを前にして、陳腐な表現だが、改めて世のため人のために生きていきたいと強く思った。こんな弱い人間でもきっと何か人のために出来ることや役割があるはずだ。まさか“反面教師”として世間から忌み嫌われ憎まれるためにだけに生まれてきたわけでもあるまい。
それにしても些細なことが起こるたびに揺れ動く蝋燭の炎のようにか弱い心よ、もっと強く太く何事にも動じないようにならないものか。
漱石曰く「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」(行人)であるならば、年が明けたら新秋津の小坂忠さんの教会に行こうと決心した。自分はその漱石の死んだ歳をも越えてしまったのである。